稲荷山得月院

 

牛久市城中町。牛久城郭跡の一角に位置する得月院は由良国繁母赤井氏「妙印尼」の菩提寺で、文禄三年八世大拙斎芸によって開基された。また、代々小川家の菩提寺でもあり、近代日本画壇の巨匠小川芋銭の墓がある。明治35年の暴風で本堂が倒壊、大正2年伽藍が全焼、現在の本堂は大正11年再建されたものである。
 大正2年の全焼の折は、小川芋銭らが復興に力を尽くしたと言う。
 境内本堂脇にある榧(かや)は推定樹齢約450年〜500年の大木で牛久市指定の文化財となっている。


妙印尼

金山城主由良成繁の室、俗名は輝子という説があるが定かでない。天正6年に成繁没後は揺れ動く時勢の中で由良家を城主のごとく支える。
秀吉から由良家へ与えられた領地5,400余石は赤井氏へのものであった。彼女は領地を子の国繁へ譲り自らは得月停という隠居所を設け妙印尼となる。得月停はその後、妙印尼開山とする曹洞宗得月院となり現在に至っている。
得月院裏手にある妙院尼の墓、五輪塔

彫刻・閻魔三像

得月院正門入り口左の小堂宇に安置された3体の仏像。宝栄永4年江戸時代中期の作品でさほど古くはないが、墨書銘がある点で貴重である。
一部欠けているが、次ぎのような墨書銘が書かれている。

宝永四年丁刻七月五日
施主 大崎三兵衛、為一家諸生×
仏工 佐藤吉夫×


得月院寺宝・閻魔三像

 

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