小貝川を上る

 8月14日、夏休みの三日目。今日は文巻橋から小貝川を上り、間宮林蔵のふるさとを訪ねることにした。
 守谷から藤代にかけての小貝川は蛇行しながら西から東にゆったりと流れている。今回のサイクリングコースは小貝川の土手道を走るのであるが、主に南側が北相馬郡藤代町で北側が筑波郡伊奈町となっている。往路は南側を復路は北側を走る往復30kmのサイクリングコ−スである。
 只今、体感温度35度。今日も実に暑い。妻から「熱中症だけは気をつけてね」っと言われて家を出た。

pm2:05


文巻橋

ゆみは黙って橋を渡りはじめた。
橋上は一入風が強かった。しかも向い風だった。ゆみはその風に突っ込むように、一直線に進んで行く・・・・。
上流は雪解であろうか、小貝川は水豊かに、淙々として薄暮の中を流れていた。
これは住井すゑの小説「向い風」のエピローグ、文巻橋を渡るシーンである。私は、この橋を渡る時、いつもヒロインゆみのことを想ってしまう。向い風、つまり人生の荒波に向かって突っ走って行く彼女の姿を思い浮かべると、自分にも新たな未来があるような気がしてならない。悲しいお話の中にもエネルギッシュな力強さを与えてくれる小説であった。

pm2:09


小貝川土手道

 文巻橋を渡って右に曲がると土手道が続く。どこまでもどこまでも。
 藤代の町が好きだった住井すゑは、若い頃3人の子供を連れてこの土手道を通ったと言う。目的の呉服店への近道だったのだ。

 pm:2:13


藤代中央公民館(裏)

右手に小貝川が流れ、左手は藤代の町並みが続いている。その一角に藤代中央公民館がある。ここは以前は藤代町役場だったところだ。更に時代を遡ると、江戸時代には藤代宿本陣があったと言う。

pm:2:20


小貝川フラワーカナル

小貝川橋を過ぎると、土手道はまさにサイクリングロードにふさわしく、綺麗に整備された道が続く。車が通らないから安心だ。右手の土手は小貝川フラワーカナルとなっていて、春にはポピーが、秋にはコスモスが一面に咲き乱れる。水辺全体がまるで公園のようだ。

  pm2:30


県南総合防災センター

 おや、何だろう?土手道に立派な建物が建っている。中に入ると、防災に関する資料がいっぱい。県南総合防災センターという防災施設であった。
 この防災センターは、防災に関する学習施設であるとともに、いざ災害となると、救援物資の供給、広域避難所として機能させるため、食糧や防災用機材などを備蓄していると聞く。

  pm3:35


藤代町営グランド

防災センターを更に先に進むと、なにやら賑やかな声が。歓声も聞こえる。なんと!このくそ暑いのに野球をやっていた。ま、他人のことは言うまい、自分だって炎天下のサイクリングを楽しんでいるのだ。他人から見るとバカに見えるだろうな。

 pm3:07


川の一里塚、その一

「川の一里塚とは、堤防側帯にミニ公園を整備し、地域の人々の憩いの場にするとともに、災害時には水防活動の拠点となるものです。現在までに、鬼怒川に19箇所、小貝川で10箇所が設置されています。」と、 県南総合防災センターHPに書いてあった。
出発してから1時間が経った。二三成橋を過ぎたところで自動販売機を発見。ちょっと休憩し冷たいお茶をグググっと飲んだ。これで1時間はもつだろう。

 pm3:00


岡堰水門

 以前、ここに来た時は新岡堰は工事中だった。私は古い歴史ある旧岡堰が好きだったのだが、今見ると、綺麗さっぱりなくなっている。機能を失い取り崩されたのだろう。あの間宮林蔵の業績を讃えた像はどこへ行ったのだろうか?あ、川の中の孤島に取り残されたままとなっている。「この岡堰の工事に携わり、伊奈忠治に認められ出世の糸口となった。」と言うような事が書いてあったと記憶するのだが・・・。

 

pm3:10


岡堰、水神岬

堰きとめられた水によって、まるで湖の様相をしている小貝川。その川辺から突き出した岬から実に美しい景観を楽しむことが出来る。特に桜の季節は美しい。
この岬を水神岬といい、藤代町教育委員会による案内板に次のことが書かれている。
 岡堰にある約100mの突堤。小貝川を堰して満々と湛えた中に、青松の影をうつした岬は、岡堰の添景として離し難い。
 岡堰は寛永七年(1630)、関東郡代伊奈半十郎忠治によって造られ、上流の福岡堰、下流の豊田堰と共に、関東の三大堰の一つである。
 古くこの岬は、中州など共に水流をじぐざぐにし、堤防を護る役をしていたという。岬の中に水神宮が祭られている。岡堰用水組合では、水神宮のお祭りと共に、上州榛名神社へ代参を立てたことが、江戸時代の記録に残っている。
 山岳信仰の通有性はあるにしても、特に榛名山を選んだのは、山を水源と仰ぐ心であろう。水は二万石の命である。 

 pm3:15


岡堰、全景

 満々と水を湛えた岡堰。美しいだけでなく、この水は藤代町ほかこの地域の水田の農業用水として利用されている。
 茨城百景にも選ばれ景観を誇っているのだが、新岡堰となり、なんだか風情がなくなった。

pm3:22


小貝川

岡堰を過ぎると、南側土手道は取手市北西部を通過することになる。この辺の小貝川は岡堰の影響があって、川幅が広い。川向こうは、伊奈町上平柳で、昔風に言うと筑波郡上平柳村である。そう、間宮林蔵の故郷である。

 

pm3:26


小貝川土手道

地図で確認すると、ここは取手市市之代。文巻橋から約13km続いたサイクリングロード(土手道)はいったんここで終着点となる。そして、右手前方に稲豊橋が見える。あの橋を渡れば伊奈町だ。

 pm3:41


平将門土偶の墓

 おお、将門の足跡(そくせき)がこんなところに。稲豊橋を渡る手前の交差点間近に、壊れた屋根つきの墓が投げ捨てられた形で建っていた。小高い丘が続くこの辺りは将門陣営の砦があったのだろうか。おそらく将門を偲ぶ人たちによって土偶を埋葬されたのであろう。
 こういう小さな石碑は車だと気が付かない。人知れず残されている歴史の足跡を見つけるのが、ウフォーキングやサイクリングの楽しみでもある。

 pm3:44


小貝川、稲豊橋より

稲豊橋を渡ると、いよいよ伊奈町に入る。これよりサイクリングロードの復路である。

 pm3:55


専称寺

 橋を渡ると、伊奈町上平柳の田園が広がる。小貝川土手道の背後に専称寺という古刹がある。間宮林蔵が幼少の頃、この寺でよく遊び、よく学んだと言われている。門をくぐって左手に林蔵の偉業を讃えた立派な顕彰記念碑が建っている。更に顕彰記念碑の裏側、小貝川の土手を背にして林蔵と両親の墓があった。

 pm3:56


間宮林蔵と両親の墓

 あの偉大なる間宮林蔵の墓にしては、ずいぶん庶民的だね。
 上平柳村の百姓として生まれた間宮林蔵は、運良く武士とっなって数々の名声と富を得るが、死んでしまえばただの百姓だった。実はこの墓は間宮林蔵が決死の樺太探検前に、自ら建てた墓で(写真左)、その隣に父母の墓もある。(写真右)

 

 pm4:00


間宮林蔵の生家(復元)

間宮林蔵の生家、と言っても復元でされたものである。林蔵は安永9年(1780)年この家で生まれ15〜6歳までここで暮らしたと言われている。
百姓家らしく萱葺屋根に縁側付き。土間は広く、その奥に竈が置かれている。土間に面して板の間が二部屋あり、奥の方は掘りごたつが備えられている。全部で4部屋の間取りで、そのうち1間は畳の部屋となっている。当時の百姓家としては立派な方であろうか、現代風に言うとちょっと大型の3LDK言ったところであろう。
最近出来たのであろう。生家の隣に鉄筋コンクリートの資料館が建っていた。入場無料が嬉しい。間宮林蔵に関する資料がここに集められていた。

 pm4:20


上平柳の風景

 筑波郡上平柳村。こんな長閑な田園風景に囲まれたところで林蔵は育ったのである。いえ、当時は毎年のように襲ってくる水害に悩まされ、長閑さを感じるゆとりはなかったであろう。聡明な林蔵は幼少の頃から自分なりに水害から身を守る方法を考えていたのかもしれない。

 pm4:21


水神宮

間宮林蔵の生家の直ぐ近くに水神宮があった。やはり水神に対する畏怖心からであろう。小貝川周辺には水天宮とか水神宮が多いが、その殆どが小さな祠である。ところがここの水神宮は格別立派な本殿が建っていた。もしかして林蔵のなせる業?

 pm4:28

 小貝川の北側の土手道に出た。右手は小貝川が流れ、左手は上平柳の田園が広がり家屋敷が点在する。
 こちらの土手道はちょっと細いけど車が通行可能なので、伸び伸びとしたサイクリングが出来ない。また微風が東から押し寄せてくる。本来なら涼しいはずであるが、向い風に向かって突っ走るかたちとなり、少々苦しい帰路となった。
  

pm4:36


岡堰水門より

 復路再び、岡堰にやってきた。全長163m平成8年完成の岡堰は威風堂々としているが、やはり、旧岡堰がなくなったことは残念でならない。
 写真中央に僅かであるが島が写っている。そこには間宮林蔵の偉業を讃える像があるはずであるが、旧岡堰が廃止され孤島となった。水が少ない時、歩いて渡ってみたいものである。

 

pm4:38


水天宮

岡堰からちょっと下ったところに、かわいらしい鳥居がポツリと、おそらく水天宮であろう。河川工事の過程で工事関係者が祟りを恐れ、そっと残したのであろうか、なんだか宙に浮いた感じがする。

 

pm4:45


下平柳の旧家

土手道、左手を見下ろすと門構えの旧家が並んでいる。昔は地主か庄屋さんだったのだろうか。こういう古い建物はいつまでも大切にして欲しい。

 pm4:48


水天宮

ここにも水天宮が祀られている。建ってから幾年も経っていないのであろう、鳥居が真新しい。堤防がしっかりしていても、いつ何時という気持ちからであろう、現代人もやはり最後は神頼みなのか。
往路も二三成橋付近で水分補給をした。考えてみると、少し涼しくなったのだろうか、2時間近く何も飲んでなかった。

 pm4:54


川の一里塚その二

土手道に、また、川の一里塚があった。小貝川10箇所の中の1つである。水防活動の拠点と言うが、こんな物に金を掛けるだけの価値があるのだろか、疑問を感じる。

 

 pm5:04


伊丹水門

 土手道を塞ぐように立派な水門が建っていた。伊丹水門である。
 伊奈町を流れる中通川と小貝川の合流地点にある水門で、小貝川の増水時、中通川への逆流を防ぐための施設である。中津川の水位が低い時はポンプを使って放流することもあると言う。

pm5:12

 
小貝川土手

 北側土手はずっと伊奈町であったが、伊丹水門を過ぎると藤代町上萱場となる。昔は今のような堤防がなく、小貝川の水があふれ、湿地帯には萱が茂っていたのであろう。萱場という地名からそんなことを想像してしまう。
 小貝川の土手には、ほら綺麗な花が咲いていた。対岸は小貝川フラワーカナルとなっているが、この季節はやや殺風景である。

pm5:27


藤代マンション群

小貝川の向こうには藤代の町が見える。ずいぶんマンションが増えたものである。

pm5:34


旧八間堀川水門

 幾通りも流れている農業用水の小貝川への放流地点に必ずと言っていいぐらい水門がある。これも水害を防ぐための施設であろう。新旧いろいろあるが、旧八間堀川水門、これは特に古そうだ。
 旧八間堀川は、牛久沼の水を小貝川に放流するため、伊奈忠治が当地でおこなった治水事業の一環として開削した人口の川である。当時は新川と呼ばれ、その名称は今でも地名として残っている。その後新しい八間堀が開削され、旧八間堀川と言われるようになった。歴史の重みを感じる旧八間堀川であった。
 
 5時半を既に回っている。今日も良く走ったなぁ、、。 あそこに終着点文巻橋が見える。
 さぁ、ラストスパートだ。小貝川土手道、旧八間堀川水門を後にした。

 

 藤代町文巻橋の袂から伊奈町稲豊橋までの往復約30kmのサイクリングが無事終わった。延べ時間3時間半、のんびりと周りの風物を見ながら走った為、ずいぶん時間が掛かった。もっとゆっくり走ればいい。周りの風景をしっかり焼き付けながら走ろう。汗を流しながらのサイクリングは実に楽しかった。
こうして平成16年の短い夏休みは終わった。

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