増田れい子
「母 住井すゑ」一
母は畑に出る、かまどの前に座る、井戸端で洗濯をする。
娘にとって母は普通の母だった。しかし、
いったんペンを握ったなら、それは近づきがたい存在だった。
娘が綴る住井すゑの意外な側面。
沼の上の家を語る
著者増田れい子は、この本の“光る沼”の章で牛久に移った時のようすを次のように語っている。
父、犬田卯の生まれ故郷は、茨城県牛久市城中町である。その生家は、周囲20キロの水清らかな沼、河童伝説で知られた牛久沼を望む小高い丘にあった。
私たち一家は、1935年7月末、東京を引き上げて、そのかやぶき屋根の家に移住した。
父親の故郷、それは少女時代の著者にとって、自然の豊かさを満喫出来る幸せな日々であった。牛久沼は家の西側をとりまいて、白く光っていてた。倉の背後は亭々たる樹木がかがやいていた。見るもの総てに感動を覚えずにはいられない、好奇心旺盛な少女だったはずである。
しかし、父 犬田 卯 にとって、それは苦渋の選択だったのだ。蹴って出た故郷に妻子をかかえて帰る無念は、情けない。くやしい、かっこわるい。とにかく無一文だったそうである。そんな思いの中で牛久へ移る決断を下した一番の要因は、ゼンソクの療養だった。空気のきれいな牛久なら治せると思ったのだろう。
何はともあれ、沼の上での新生活が始まる。母 住井すゑにとっては其処は落ち着ける場所だった。その時の心境を「この沼をひと目見たとき、私はここに落ち着けそうだと思った。沼は大地のえくぼといいたい愛らしさで、眼前にあった・・・・。」と、後に語っている。