犬田卯 随筆集2
沼のまぼろし --芋錢の河童---2
「カボチャ畑をふらふらと、酒か団子か、よい機嫌」(「民話カッパ」贊)
「芦の若葉がくれた、川獺娘を垣間見て、袖にはあらぬ屁ツポをチヨイと引いたら喰ひつかれ、田長の鳥のなくなくに、カッパ膏薬二タ貝はつた。(「河童と獺娘」の贊)
「我も輪廻の戀の闇、花さき草のまぼろしに、こがるゝ思いやるせなや、風に流るゝ小狸藻の、行衛もしらぬ迷ひかな」
「迷う心の細流れ、ちよろちよろ水の一筋に、うらめしいのは白鷺の、水になれたる足よりも、ぬれて雫ときゆるもの」(以上二編「鷺娘と河童」贊)
「はなせ、とめた、とめてよいのは朝の雪、ゆきにはあらぬ雨夜のカッパ、皿にためたる皿力、朝比奈ならぬ怪力に、エイ〜引くや霞の富士お山、千萬年も變らぬ姿、めでたけれ」(「河童の草摺引」贊)
「北冥に河童あり、化して鳥となる。其名を鵬といふ、鵬の背幾千里といふ事を知らず、其翼乗天の雲の如し、扶揺に搏つて上がるもの九萬里、九萬里は風の厚さなり、厚からざれば大翼を乗する所なし、河童は其体屁と興に輕し、鵬となれば其重きこと幾何ぞ物化すれば大小輕重もとより變ず。、其變化の妙機、宇宙の測るべからざるが如し」(「鵬」贊)
「カッパ曰く、何をか天と謂ひ、何をか人と謂う、海坊主曰く、牛馬四足、是を天と云ふ、馬首を落し、牛鼻を穿つ、其を人と云う、故に白く、人を以て天を滅ぼすこと無かれ、故を以て命を滅ぼすこと勿れ、徳を以て名に殉ふこと無かれ」(「海坊主と河童の問答」)
「河童は江湖の哲学者気取り、鳩が浮巣の浮気を笑へど己が暮しのカッパの屁の如きをしらず」(「河童圖」贊)
「今昔物語」や「筑紫民譚集」などには、いろいろの河童の話しが出てくる。然し何れもそれらは、われわれ人間生活にとつてあまり好ましくない存在である。たとえば、夜中に便所に入つた嫁女のお尻を撫でたとか、牛久沼の河童と同じように子供らを「引ツ込む」とか。稀には子供達と相撲をとるとか、骨折の薬を傳授するとか云う多少愛嬌もあるのだが、とにかく俗物的存在であつて、芋錢先生の河童の如く、禪味あり、哲学味のあるものではなかつた。
私の村(牛久村城中)では、毎年舊十二月一日に「カピタリ餅」というものを搗いて、それを各家々で四つ五つ、沼や附近の溝へ投げこむ習慣がある。何も意味するのか分からずに、私なども投げこんだものだつたが、あとで芋錢先生に聞くと、これはカッパ供養---即ちカッパの災厄を除ける行事である、という風に解され、「カピタリ」というのは「川浸り」のナマリであろうと言われた。