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犬田卯 随筆集4

夏日抄-牛久沼スケッチより-1


 雲らしい雲―――雲それ自身として獨立して面白いのは、夏曇、それも平野に見える眞夏の雲であらう。それは漠然とした地平の混沌から、次第に形を成しつゝ、徐々に、動くともなしに動きつゝ、中空に昇つて来る。そして、或は團々をなし、或は片々に白くちぎれ、絶えずその形を變化させながら、果てしもない虚空にひろがり浮かぶのである。
  秋の雲は地平線から出て地平へと遽しく旅するものゝやうに移動するが、眞夏の雲は、そのまゝちりぢりと沖天で消失するか、または他の雲とひとつに融け合つて屑をなしたまゝ停滞してゐるか、何れにしても颱風の気味ででもない限りは、あてどもなく虚空を遊泳してゐるものとしか思はれない。行衛も決まらぬまゝに地平から沖天へとさまよつて來たものゝやうにしか思はれない。
  然し時にかうしてあてどもなく浮かんでゐる雲は集團をなし、雷雲を形成することがある。そして非常にそれが高く、雷鳴の気配のみ見せて、ぢつとして去らずゐる時などの壮観はまことに眞夏の一つの魅惑といつてよからう。灰色の、黄粉色の、或は橙色の、さまざまの雲の峯が、お互ひに先を競つてむくむくと膨れ上がり、伸び縮み、巻きかへりしながら、何ものをも恐れず、押し退けるやうに、それは擴がつて行く。まるで紫陽花が、ぱつといくつも虚空高くつぎつぎと咲き出すやうである。
  然もこの雷雲は地上と関係を結ばない限り、いくら先へ先へと競つて打ち擴がつて行つても、どこまでも團雲という形を出です、いつか根の方は墨灰色に動かなくなつて、一色に流れ固まつてしまつてゐる。然し、一度びこの團雲が低く垂れて擴大するや、それは風を伴つて急速に乱れかかり、瞬く間に耕地や村々の上にのしかゝつて、そして物凄い驟雨を打ちそゝぐのだ。
  雲には四季を通じて、朝畫夕、それぞれ特異の姿態なり色彩なり動きなりがあつて、盡きない美しい興趣があり、時に哀愁や、暗さや、また異状の華やかさを伴ふものであるが、眞夏の雲には、實にその哀愁や暗さが尠い。どこまでも勇壮であり、そしてその哀愁や暗さの反對のものを感じさせられる
  一般に雲の千變萬化は人生千變萬化に比せられ、またその不安定性――――どこからともなく生じ、どこへともなく消えてゆくところの(無論それは理由あつてのことではあらうが)その虚空から無限の虚空へと生滅するありさまも、我々をして人生そのものゝ姿を想見せしめるに足りる。が、この眞夏の雲そのものには、寧ろさうした不安定性とか移動性とか、虚無感とかを撥無してしまつた、或いはそれらを超克したところの、まつしぐらな、幅のひろい積極性――――何ものかに向かつてひたすらに突進して行くやうな激しいものが感じられる。単にそれは雷雲におけるのみでなく、無心に悠々として浮動してゐる時にあつても、烈日のかゞやきの中にあつても、さうなのである。