犬田卯 随筆集6
夏日抄-牛久沼スケッチより-3
蝉
蝉は夏から秋にかけての自然の推移をそのまゝ伴奏する。種々な蝉のうち私の地方(関東北部)では蜩が先ず「夏來る」を告げるのである。はん夏前後の夕方、全く忘れらてゐるやうな時、ふと遠くの木立から「カナ〜カナ〜」といふ哀調を帯びた啼き聲が傳つてくるのは、なんともいへない情趣のあるものである。蜩のことを、私の地方では「はんげ虫」といふのは、彼等がきまつて梅雨あけの頃、それも大概はんげの夕方に、待つてましたとばかりに、ひよこり啼き出すからであらう。
蜩は早朝く、東が白みかゝつた時分、そちらの方で一群が啼いたと思ふと、それにつれて、こちらの木立からも啼き出すといふやうな啼き方をする。単独で、時をかまはずに啼くやうなことは殆どないといつていゝ。彼等は日中はあまり啼かない。時雨模様にでもなつて、急に空がかき曇つて來たときとか、雨が上らうとして、暫しの間の、まだ陽の照らないやうな時とかを除いては。
彼らのよく啼くのは夕方である。あたりが暗くなつて、相手がどこにとまつてゐるのか我々の眼には分らないやうになつても、まだ飽きずに友を呼びつゞけるのである。さういふ時の彼等の啼き聲には、何となくやるせない、騒々しさへ感じられるほどである。
騒々しいといへば、全く文字どほり騒々しいのは油蝉である。これこそ眞夏の、かんかんと陽のてりつける時の蝉であらう。私の地方には梅雨に入る前、松蝉とよぶ小さい虻のような奴が、よく松林のなかなどでぢい〜と煎りつけるやうな啼き聲を立てゝゐるが、その松蝉などの比較でないほど油蝉は騒々しく、そして聲も低いやうでゐて、實はかん高い。が、如何に騒々しい奴にせよ、この蝉が出ないと、まだまだ本格的の夏はやつて來てゐないのだといふ気がするから可笑しい。
油蝉の出る前、蜩につゞいて、ちツち蝉といふ小形の蝉が、私の地方では、その何かゞ降りるやうな、しい〜といふ啼聲で炎天を煎りつける。この蝉の啼き方は、どこか女性的であつて、内に深くこもり、油蝉の野放圖さは欠けてゐる。
みんみん蝉は、それらの蝉に比較するとずつと知的であり、また悠長で、これは何となくもう秋の聲だ。土俗、この蝉の啼き聲によつて玉蜀黍が實るといふ。土用の聲と.共に大方は啼く蝉であるが、その聲をきくと、夏も頂上を過ぎたのだとつくづく感じさせられるから不思議である。
次ぎに「つくつくぼうし」は柿の熟するのを告げるものとされてゐる。みんみん蝉に比べてこの蝉は實に忙しい啼き方をする。まるで來るべき秋の歩みを警告するもののやうである。しかもこの小さい透きとほるやうな蝉は、朝早くから晩方まで、時をきらはずに啼きつゞける。あの小つぽけな身體のどこにあんなにも聲量があるのかと思はれるほど、この蝉はいたいたしい。彼等は羽をふるはし尻を振り立てゝ、まるで生命がけで啼く。そこには躊躇もなければ 逡巡もない。それはたゞひたむきな衝動的な暫しの生の爆發に任せたものの行為である。