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小貝川を上る、三

pm3:26
小貝川土手道
地図で確認すると、ここは取手市市之代。文巻橋から約13km続いたサイクリングロード(土手道)はいったんここで終着点となる。そして、右手前方に稲豊橋が見える。あの橋を渡れば伊奈町(現、つくばみらい市)だ。

pm3:41
平将門土偶の墓
 おお、将門の足跡(そくせき)がこんなところに。稲豊橋を渡る手前の交差点間近に、壊れた屋根つきの墓が投げ捨てられた形で建っていた。小高い丘が続くこの辺りは将門陣営の砦があったのだろうか。おそらく将門を偲ぶ人たちによって土偶を埋葬されたのであろう。
 こういう小さな石碑は車だと気が付かない。人知れず残されている歴史の足跡を見つけるのが、ウフォーキングやサイクリングの楽しみでもある。

pm3:44
小貝川、稲豊橋より
稲豊橋を渡ると、いよいよ伊奈町に入る。これよりサイクリングロードの復路である。

pm3:55
専称寺
 橋を渡ると、伊奈町上平柳の田園が広がる。小貝川土手道の背後に専称寺という古刹がある。間宮林蔵が幼少の頃、この寺でよく遊び、よく学んだと言われている。門をくぐって左手に林蔵の偉業を讃えた立派な顕彰記念碑が建っている。更に顕彰記念碑の裏側、小貝川の土手を背にして林蔵と両親の墓があった。

pm3:56
間宮林蔵と両親の墓
 あの偉大なる間宮林蔵の墓にしては、ずいぶん庶民的だね。
 上平柳村の百姓として生まれた間宮林蔵は、運良く武士とっなって数々の名声と富を得るが、死んでしまえばただの百姓だった。実はこの墓は間宮林蔵が決死の樺太探検前に、自ら建てた墓で(写真左)、その隣に父母の墓もある。(写真右)

 

 pm4:00
間宮林蔵の生家(復元)
間宮林蔵の生家、と言っても復元でされたものである。林蔵は安永9年(1780)年この家で生まれ15〜6歳までここで暮らしたと言われている。
百姓家らしく萱葺屋根に縁側付き。土間は広く、その奥に竈が置かれている。土間に面して板の間が二部屋あり、奥の方は掘りごたつが備えられている。全部で4部屋の間取りで、そのうち1間は畳の部屋となっている。当時の百姓家としては立派な方であろうか、現代風に言うとちょっと大型の3LDK言ったところであろう。
最近出来たのであろう。生家の隣に鉄筋コンクリートの資料館が建っていた。入場無料が嬉しい。間宮林蔵に関する資料がここに集められていた。

pm4:20
上平柳の風景
 筑波郡上平柳村。こんな長閑な田園風景に囲まれたところで林蔵は育ったのである。いえ、当時は毎年のように襲ってくる水害に悩まされ、長閑さを感じるゆとりはなかったであろう。聡明な林蔵は幼少の頃から自分なりに水害から身を守る方法を考えていたのかもしれない。