牛久沼一周、二
pm3:45
東林寺城跡・郭と郭を結ぶ土橋
前方に桜並木の遊歩道があり、この道を進むのも良いだろう。が、今日は東林寺跡へと向かう。本通は桜並木入り口を過ぎたところで右に大きくカーブしているが、真っ直ぐに山に向かった細い坂道を登る。登り切ったところから沼向こうの泊崎がよく見える。おそらく見晴台があったのだろう。そしてそこから先は耕地が広がっている。意外と広い。おそらく本丸があった場所であろう。農家が二軒ほど建っている。その周りは私道とも径とも畦道とも区別が付かない細い小径が何通りもあり、初めて来る人は迷う。そして木々に囲まれた切通を過ぎると、やがて曹洞宗東林寺の裏に出る。この辺も広々とした耕地になっている。おそらく二郭か三郭があったところであろう。さらに進むと、四郭あるいは外城を結んでいたと考えられる土橋があり、このあたりはゴミの山である。嘆かわしい限りだ。さらに1kmほど進むと、三日月橋から続く本道に合流する。
pm3:58
天神下の渡し場跡
本道は暫く牛久沼湖畔から離れ、平坦な台地上を走る。離れるといっても、距離的にはさほど遠ざかるわけではない。その証拠に庭先にボートを置いた家が目に付く。つまり左手、沼に面した西側を雑木林や木立が景観を遮っているのである。また沼沿いに公道が無いため沼に近づけない。
やがて茎崎(つくば市)の中心部に出るのであるが、その1kmほど手前に沼岸に向かう道がある。その道を下りると「天神下の渡し場」に出る。そこにはつくば市教育委員会設置の案内版が立っていて、当時の牛久沼農村の生活模様を知ることが出来る。
つくば市教育委員会の説明によると次の通りである。
ここには、昭和の初期まで「天神下の渡し場」がありました。当時の茎崎村東部と西部の岩崎地区を結ぶ重要な交通上の唯一の水路で、毎日多くの人々が往復し賑わっておりました。田舟よりやや大型の専用舟に客を乗せ、船頭が竿をさし櫓を漕いで対岸の「永作の舟渡」まで運び、船賃は歩行者二銭自転車利用者五銭でした。茎崎第一・第二小学校の運動会の際は、姉妹校への参加応援のため多くの児童がここを渡りました。また、板橋不動尊のご縁日には御参りに行ったお祖母さんがお土産に買ってくる名代の団子を楽しみに大勢の子供達が待っていたそうです。強風・荒波の日のために、水路には太い丸太が約十メートル間隔で立てられ、丸太を結ぶ針金が張られており、荒天の場合はその針金を手繰って向こう岸までは運びました。渡し場付近の沼底は、砂地のため子供達の絶好の水泳場となり、前記の丸太の岸から何本目まで泳げるかで水泳技量のランク付けをしていました。また、底まで見える水質と相まって魚介類が豊富に捕れ、天然鰻の宝庫でもあり、古沼しか生育しない「じゅんさい」という珍味な水草も採れました。沼に繁茂する藻は当時の田畑の貴重な肥料ともなり、夏季に漕ぎ出す藻採りの舟は若い男女の楽しい交歓の場でした。天神様は遠い昔、今の八坂神社に還宮され、天神山の土も殆ど森の里団地造成時に搬出され、今はその名残のみの地となっております。
2000年3月 つくば市教育委員会