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女化原の狐女房譚二

『常州女化稲荷大明神縁起』
 牛久沼のほとり、野口屋に伝わる文書『常州女化稲荷大明神縁起』によると、根本村の忠五郎(忠七)の祖先は、関東管領家の山内上杉家の家臣大徳忠右衛門といい、「算筆の達人、早割の名人」であったが、武家として出世がおぼつかないと主家を離れ、大徳村(現竜ヶ崎市)に住居を定め、前記の術を指南して暮らしていたが、忠五郎の父の代に度々の水害から居を根本村に移したという。稲荷の御宮・拝殿の建立に付いては、年代は示していないが、栗林義長が岡見家、相馬家、北条家、その他隣国の地頭より寄進を受けて建立し、毎年11日と午の日を縁日に定めたとある。
また、義長は天正18年(1590)2月初午に63歳で病死と記されている。

民間伝承、狐女房譚
 昔、貧乏なカクエモン(覚右衛門)という人がいた。暮らしが楽でないので、どこかに精米に雇われて、米つきに行った。その帰りに、女化原を通った。するとそこの木の根本に狐が昼寝をしている。傍には狩人がその狐を撃ち殺そうそうとしていて、カクエモンは一つえへんと大っきな咳払いをした。すると狐は目を覚まして逃げていってしまった。カクエモンは狐を助けるぐらい優しい人だったので、狐はきれいな女の人に化けて、カクエモンの家に「道に迷って仕方ない」といって訪ねて来た。娘はよく働くのでそのまま嫁に入り、忠太郎と子供二人が出来た。昔のことだから、田植えが大事だったが、カクエモンの家は夜中に狐が田植えをして朝起きて見るとすっかり終わっている。また狐が「つつっぽになれ、つつっぽになれ」とかくてれていうと、検見に来たとき少しも稔っていなかった。しかし、刈り取ると稔っていて、あるとき、座敷を尻尾で掃いているのを子供に見られてしまった。狐は正体を知られたので、別れの歌を詠んで消えてしまった。狐はお稲荷さんの裏に塚があってそこに入ったという。その伝説で、女に化けた狐を祀って女化神社になった。
注釈:「つっぽっぽ」 穂の出ない稲のこと

 紹介した伝承では、狐を助けるのはカクエモン、つまり栗山村の覚右衛門となっているが、民間伝承ではもう一説、根本村の忠五郎の場合もある。民間伝承の特徴は、竜ヶ崎周辺が農村地帯であったことから、次のように稲作に対する農民の願いが色濃く込められている。
   狐が仲間を連れてきて一晩で田植えが終わっている。
   検分時は不作だったが、刈り取る時はいっせいに穂が出る。
農家にとって辛い労働の田植えが一晩で終わって欲しいという願いや、豊作であっても年貢米を軽減して欲しい。などなどの願望が込められている。

栗林義長は実在の人物である。或いは、それらしき人物がいた、と言い替えた方がいいのか、彼の死後は牛久市新地町の東林寺に手厚く葬られたと伝えられている。
  岡見氏は当時小田原北条氏の支配下の元で戦乱の世を戦っていた。小田原城主の北条氏尭は義長の戦略的才能を見込んで総大将に任命した。しかし彼は、義長の身分が低いため統率力に欠ける事を気遣い、心霊に守らた不敗の男として不敗神話を作り上げた。その事によって義長は配下から絶大な信頼を得る事が出来た。
その心霊がつまり、狐の子孫として言い伝えられ、彼自身も自らを狐の子孫であると思い込むようになった。
そして、時を隔て栗林義長伝は狐女房譚として世に広がった。