牛久城と由良氏2
国繁の母赤井氏
金山城主由良成繁の室、俗名は輝子という説があるが定かでない。天正6年に成繁没後は揺れ動く時勢の中で由良家を城主のごとく支える。
秀吉から由良家へ与えられた領地5,400余石は赤井氏へのものであった。彼女は領地を子の国繁へ譲り自らは得月停という隠居所を設け妙印尼となる。得月停はその後、妙印尼開山とする曹洞宗得月院となり現在に至っている。
由良氏の領地
由良氏の石高は最初5,400石程であったが、加増され約7,000石となる、領地は以下の通りである。
岩崎村(茎崎町) 菅間村(茎崎町) 赤塚村(つくば市) 堀内村(つくば市)下原村(つくば市) 新牧田村(つくば市) 稲岡村(つくば) 中島村(つくば市) 牛久村(牛久市) 洒島村(牛久市) 岡見村(牛久市) 猪子村(牛久市) 東大和田村(牛久市) 東猯穴村(牛久村) 高岡村(伊奈町) 足高村(伊奈町) 野堀村(伊奈町) 狸穴村(伊奈町)
尚、その後由良氏の所領は二度にわたる公収という憂き目に遭い6,000石を失うが、東猯穴村だけは終生由良氏の領地として幕末まで続いた。現在のJRひたち野うしく駅付近である。
由良氏一族の墓は新田義貞の墓と共に竜ヶ崎市若柴金竜寺に今も残っている。由良氏の領地の大部分を引き継いだ牛久藩主山口氏の力の拡大にともない、牛久藩内新地にあった金竜寺は幕府の庇護のもとに牛久沼対岸の若柴へ移った。