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竜ヶ崎の近代史

明 治(1867〜1912)
 明治元(1868)年明治維新によって仙台藩龍ヶ崎領は龍ヶ崎藩となる。明治4(1871)年、廃藩置県によって、龍ヶ崎藩は龍ヶ崎県となる。更に同年に出された府県制改正により、諸県が整理統合され、まもなく龍ヶ崎は新治県に属することとなる。明治8(1875)年、新治県は廃止され、県域を拡大し現在の茨城県となる。
明治22(1888)年、茨城県令により、八代、羽原、別所、貝原塚、泉、薄倉の6ケ村を合わせ八原村。若柴、馴馬、佐貫、稗柄、小通幸谷、南中島、入地、稲荷新田、小柴新田、庄兵衛新田、門倉新田の11ケ村を合わせ馴柴村。大徳、宮渕、佐沼の3ケ村を合わせ大宮村。長峰、半田、塗戸、高作、板橋、大塚の6ケ村をあわせ長戸村。長沖、長沖新田、須藤堀、北方、羽黒、豊田の6ケ村を合わせ北文間村になる。尚、町村制施行により、龍ヶ崎は単独で龍ヶ崎町となる。
明治29(1896)年、平安時代より続いた信太郡、河内郡は廃止となり、龍ヶ崎町、八原村、馴柴村、大宮村、長門村、北文間村は稲敷郡に属することになる。明治32(1899)年には、龍ヶ崎鉄道株式会社が設立され、翌年龍ヶ崎〜佐貫間が開通し、それと同時に常磐線佐貫駅が開業する。明治33(1898)年、小野瀬忠兵衛が発起人となって龍ヶ崎農商銀行が設立する。

大正(1912〜1926)
 大正2(1913)年龍ヶ崎町に初めて電燈が灯る。大正5(1916)年、龍ヶ崎町にガスがひかれる。大正11(1936)年、龍ヶ崎町横町で舗装工事が始まる。

昭和(1926〜1989)
昭和16(1941)年太平洋戦争勃発。昭和20年敗戦
 昭和29(1954)年3月、龍ヶ崎町・大宮村・八原村・長戸村・馴柴村・北文間村に北相馬郡川原代村を加え、8町村の合併による龍ヶ崎市が誕生。翌年高須村の一部が加わり現在の市域となる。昭和30年代、市庁舎・消防署・ごみ処理場などが作られ、工場誘致に関する条例が制定されるなど都市としての礎が築かれる。昭和39(1964)年には、東京オリンピックで地元出身の柔道の岡野功選手が金メダルに輝く。昭和40年代には、市営グラウンドやし尿処理場など都市基盤の整備が順調に進み、また、流通経済大学が開設するなど、学園都市としても発展をする。
 昭和50(1975)年代になると竜ヶ崎ニュータウンの建設が本格的に始まる。昭和60(1985)年、佐貫駅舎が新築され、県道千葉龍ヶ崎線、土浦龍ヶ崎線が開通するなど交通面での整備が進みむ。また、文化会飴・中央図書館、地区公民館・歴史民俗資料館など文化・教育施設も充実する。

平成(1989〜   )
平成元(1989)年つくばの里工業団地が完成し、多くの企業が進出。平成11(1999)年ニュータウン北竜台に大型ショッピングセンターサプラが開業。平成14(2002)年総合運動公園たつのこアリーナが完成、龍ケ崎済生会病院が開業する等、市民生活の利便性がいっそう高まる。人口7万7000人を擁する住宅都市として発展を続けている。