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伊奈町・鎌田遺跡1

かつて間宮林蔵が少年期を小貝川の流れとともに過ごした歴史ある伊奈町、さらに遡って戦国の群雄割拠の時代は岡見氏が足高に居城を構え、月岡氏が板橋に居城を構え、幾度となく古戦場となった場所でもある。そして更に遡って平安の昔、河内郡大川郷として、律令制度の地方権力者がいたことが解明されようとしているが、いまだ謎である。

概要
所在地---茨城県筑波郡伊奈町大字南太田字広地
標高22〜23mの筑波・稲敷台地の南端は、小高い丘が続き、その丘は畑で埋め尽くされて、のどかな田園地帯が続くその一角に鎌田遺跡の発掘現場がある。同遺跡は県道の新設に伴ない、平成11年4月〜9月発掘調査が行われている。
伊奈町で確認されている遺跡は、ほとんどが台地の緑辺部に点在し、当遺跡の周辺は未発掘ながら、縄文時代、古墳時代、中世の遺跡が眠っている事が想像出来る。
遺跡の概要は、面積は15,871u全部で5区に分けされて比較広い。現状は畑で、種別は集積跡及び墓跡、時代は縄文時代から古墳時代迄及び奈良・平安時代〜中世・近世と長期にまたがっている。

「鎌田遺跡4区全景」画像を見る

遺構
竪穴住居跡-------91軒
掘立柱建物跡-----20棟
土坑-----------150基
溝---------------3条
袋状土坑----------2基

「縄文時代土坑」画像を見る 
土坑とは土地を掘りくぼめてつくった穴の事で、形は円形、惰円形などがある。一般に食料の貯蔵用に使われた。
また、落とし穴や墓としても使われ、墓の場合は土坑墓という。
「古墳時代竪穴住居」画像を見る
「平安時代掘立柱建物跡」画像を見る
 掘立柱建物跡---高床式の住居や倉庫跡と見られる柱穴列で、平地式とも呼ばれる。
「平安時代竪穴住居カマド跡」画像を見る 
カマドとは、竪穴住居の壁.に設けられた煮炊き用の設備で古墳時代以降の住居跡に見られる。

当遺跡の特徴は圧倒的に平安時代のものが多く、また住居跡のスケールの大きさは目を見張るものがある。 古墳時代の住居跡も発掘されており、一部は平安時代のものと重複している。平安時代は律令制度のもとで庶民は疲弊し、一般的には住居は粗末なものが多く、古墳時代のそれと比べると小さいと云われている。しかし当遺跡の住居跡に限り、平安時代.のものが大きい。何故なら、律令制度における役人の住居、つまり搾取階級や権力者の住居跡が多数あるからだと考えられている。
 また、、この周辺、特に南側は縄文時代の住居や遺物が数多く埋蔵されているはずで、当時、其処は縄文海進によって陸地が狭められ、.直ぐ近くで海を望むことが出来たと考えられている。