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つくば・中原遺跡3

奈良・平安時代の遺構・遺物
当遺跡は旧石器時代からの複合遺跡であるが、発掘された505軒の竪穴住居のうち498軒は奈良・平安時代のものである。
律令制度の下で、大きな勢力がこの地に芽生え育まれ、やがて衰退していった。それは河内郡衛に関連した大きな集落が成立した事なのであるが、その過程は記録として残っていない。次々と出土される遺構・遺物がその謎を明かす大きな手がかりとなるかもしれない。

「平安時代の土坑」画像を見る
貯蔵庫だったのか、ゴミ捨て場だったのか、それとも祭事として使われたのか.、不明であるが、この穴から墨書土器が出土した。
「墨書土器」画像を見る
「常陸國河内郡真幡郷戸主刑部龍?人」と書かれている。

竪穴住居その一

竪穴住居画像を見る
この写真の竪穴から重要な遺物が出土している。
左記写真の青磁・白磁で、これは中国、(唐の時代)越の国から持ち込まれた焼物である。
特に青磁は国内での出土例が約3000片しかなく、その過半数は大宰府のものであり、残り半数は平城京のものである。
常陸國の国府でなく、河内郡の郡衛でもないこの中原遺跡からこのような磁器が出土したことは謎であり、いずれにしても中央との深い繋がりを示唆する貴重な遺物である。
「青磁」画像を見る 「白磁」画像を見る

竪穴住居その二

竪穴住居画像を見る
この竪穴住居から灰釉陶器、緑釉陶器、刻書土器、朱書土器、墨書土器、瓦などの遺物が出土している。
墨書土器や朱書土器及び瓦は、お寺で使用されたもので、300メートル先の九重廃寺跡(河内郡の郡寺)との関連性が考えられている。
また、瓦は本来お寺のものであるが、ここではカマド脇の補強材として使用されている。 
「灰釉陶器」画像を見る  「刻書土器」画像を見る 
「瓦」画像を見る 「灯明皿」画像を見る 
この灯明皿はお寺で使われたもので、右上の黒ずんだ部分が、油火で焼けた跡。杯の転用と考えられる。

竪穴住居その三

竪穴住居の画像を見る 
壁面に柱跡が残る珍しい竪穴。特殊な構造で恐らく身分の高いお役人が住んで居たのであろう。 
「竪穴住居想像図」画像を見る

掘立柱建物跡

四面庇付掘立柱建物跡の画像を見る 
四面庇付掘立柱建物は通常の集落では見ることが出来なく、郡衛の機能を持った特殊な施設であったと考えられる。
想像図の画像を見る

鍛治工房跡

鍛治工房跡の画像を見る 
鍛治工房跡から石製紡錘車や砥石、硯及び土器破片が出土している。
また工房跡の隣に廃棄物を棄てたゴミ捨て場と考えられる施設がある。
当時の生活様式を知る上で貴重な手掛かりとなる。 
「石製紡錘車」画像を見る 「硯」画像を見る