伊達政宗と竜ヶ崎
慶長11年(1606)、徳川家康は伊達政宗に竜ヶ崎の地を与えた。常陸国河内郡の竜ヶ崎村及び砂沼及び信太郡の13の村、合計1万石余りであった。何ゆえこの地が政宗に与えられたか明瞭でないが、おそらく家康は、武力政治力に優れ副将軍と言わしめたほどの政宗と友好を保つためと思われる。家康の六男忠輝と政宗の長女五郎八姫(いろはひめ)の婚姻などで、そのことを窺い知ることが出来る。
伊達藩は廃城となった竜ヶ崎城に変わり、現在の龍ヶ崎小学校付近に陣屋を置き、明治維新まで常陸国における領地を支配した。仙台藩伊達家による竜ヶ崎の統治は、代官を置き、その下に郡司・郡代を置き民政や財務に携わった。竜ヶ崎は仙台領の中で、江戸に最も近く、食料の供給基地として大いに栄えるのであるが、仙台領になった竜ヶ崎は、200年余り、民心は安定し、伊勢、近江、越後からも多くの商人がやって来て、町人文化が確立し、彼らは財を築き、町は大いに発展をする。伊勢から移り住んだ杉野氏はその代表格で伊勢屋治兵衛と称し油商や菓子商を営み財を成し町の発展に寄与した。後に杉野翠兄という俳人を輩出している。
幕末まで続いた陣屋は、仙台藩が戊辰戦争で朝敵となった為、常駐していた代官は急いで国元に引き上げた。その後、陣屋は何者かによって打ち壊しとなった。
陣屋跡(龍ヶ崎市古城)画像を見る
龍ヶ崎小学校正面入り口手前、龍ケ峰を背にして龍ヶ崎陣屋があった。
武家屋敷長屋跡(龍ヶ崎市古城)画像を見る
竜ヶ崎二高へ向かう坂道手前を右折したところに武家屋敷長屋が並んでいた。
愛宕神社の画像を見る
龍ヶ崎市内を一望出来る愛宕神社(龍ヶ崎市立愛宕中学校隣)は、仙台藩2代目藩主・忠宗によって寛永18年(1641)建立されたと言われている。伊達家では代々愛宕神社を崇拝しており、領民の安泰と火災や災難除けを祈願したものである。