水戸街道藤代宿1
藤代宿の概要
水戸街道の取手に次ぐ7番目の宿駅。実際には、藤代宿と隣接する宮和田宿の二つの宿駅で、一つの宿駅の機能を分担していた。現在はちょうど両宿の間にJR藤代駅があり街道は駅前を鋭角にカーブしていて、北に500m程のところに藤代宿があり、東に600m程のところに宮和田宿があった。一般にはこの両方の宿場を合わせて藤代宿と呼んでいた。宿場の規模は、石高1803石で、の規模の宿駅で公用の人馬として通常人馬25人、25匹を常備していた。助郷村は天保11年(1840)の記録では村数29か村、石高19000余。加助郷村は明和元年(1764)の記録で33か村、石高12965となっているが、時代によっては食い違いがあるので参考程度に考えて欲しい。これらを2宿がどのように分担し運営していたのか分からないし、なぜ、本陣や問屋場が両宿に置いてあり、交互にその任に当たっていたか分からない。とにかく謎の多い宿場町である。