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水戸街道藤代宿2

宮和田宿
越すに越される小貝川。当時の小貝川は下総国と常陸国の国境で、その国境越えのための宮和田の渡し場がこの宿場にあった。大雨が降ると宿場全体がぬかるみ、川は氾濫し、多くの旅人はこの宿に足止めをくらったことであろう。いつ出るか分からない渡し舟を旅籠の一室でじっと待ちわびる旅人の姿が浮かんでくる。
小貝川は、昔から氾濫の絶え間ない川で、今日においてはしっかりとした堤防が築かれ氾濫することはあまり考えられないが、昔は想像を絶するほど氾濫が多かった。そんな事もあって、小貝川には橋が架けられなかったのかもしれない。宮和田宿に関する文献は皆無に等しいが、正徳五年(1715)の書物『駅路鞭影記』によると、小貝川の渡し賃は二文で、宿場にはうどん、そば切を売る店があったと書かれている。宮和田宿の本陣、問屋場がどこにあったか、見当もつかないが、舟待ちの旅人で賑わっていたはずである。

「小貝川、宮和田の渡し付近」画像を見る
遠方に見える橋は文巻橋で、この川を渡ると常陸国である。

「宮和田宿」画像を見る
直進すると、道が細くなり、その先は土手で、かつて宮和田の渡し場があったところである。左に曲がると国道六号線文巻橋へ出る。

藤代宿
街道筋は相馬神社のところで直角に曲がっている。その角に坂本呉服店が昔ながらの屋敷を構えて商いをしている。宿場の名残を感じるのはこの場所だけであろう。本陣は近年まで、その雄姿を誇っていたが、昭和30年の町村合併時に町役場建設のため建て壊された。屋敷は木造萱葺屋根で質素であったが唐破風造りの玄関は本陣の風格を備えたりっぱなものであったと記録されている。現在は近代的な藤代中央公民館に変わっている。時の流れとはいえ、こういう建物が行政の力で解体されるとは、とても残念である。往年の本陣は、広大な敷地を誇っていたようであるが、たびたびの小貝川の改修工事で、大きく敷地を削られたと言う。その本陣は、代々飯田三左衛門の子孫が管理していた。
 藤代宿は、本陣のほか、脇本陣、問屋場、旅籠、湯屋、商家が建ち並び、結構賑わっていた。その場所は現在も藤代町の中心部にあり、JR藤代駅から続く街並みは新旧の商店が混在している。

「藤代宿、坂本屋呉服店前」画像を見る
生前の住井すゑさんのお気に入りのお店で、彼女が若い頃は牛久から約8kmの道のりを歩いて通ったという。

「本陣跡、現藤代中央公民館」画像を見る 
すぐ裏は小貝川の土手になっている。