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間宮林蔵2

林蔵の生まれたととろ

「専称寺専称寺」画像を見る

 伊奈町上平柳。小貝川の土手を降りると、田園が広がる。土手道を背後にして専称寺という古刹がある。間宮林蔵が幼少の頃、この寺でよく遊び、よく学んだと言われている。門をくぐって左手に林蔵の偉業を讃えた立派な顕彰記念碑が建っている。更に顕彰記念碑の裏側、小貝川の土手を背にして林蔵と両親の墓があった。

「間宮林蔵と両親の墓」画像を見る
 あの偉大なる間宮林蔵の墓にしては、ずいぶん庶民的である。 上平柳村の百姓として生まれた間宮林蔵は、運良く武士とっなって数々の名声と富を得るのであるが、死んでしまえばただの百姓だったという事か。実はこの墓は間宮林蔵が決死の樺太探検前に、自ら建てた墓で(写真左)、その隣に父母の墓もある。(写真右)墓の背後は小貝川の土手道である。

「間宮林蔵の生家(復元)」画像を見る
 間宮林蔵の生家、と言っても復元でされたものである。林蔵は安永9年(1780)年この家で生まれ15〜6歳までここで暮らしたと言われている。
百姓家らしく萱葺屋根に縁側付き。土間は広く、その奥に竈が置かれている。土間に面して板の間が二部屋あり、奥の方は掘りごたつが備えられている。全部で4部屋の間取りで、そのうち1間は畳の部屋となっている。当時の百姓家としては立派な方であろうか、現代風に言うとちょっと大型の3LDK言ったところであろう。

「生家土間(復元)」画像を見る

「間宮林蔵記念館」画像を見る
生家の隣に鉄筋コンクリートの資料館が建っている。入場無料が嬉しい。間宮林蔵に関する資料がここに集結。

「上平柳の風景」画像を見る 
筑波郡上平柳村。こんな長閑な田園風景に囲まれたところで林蔵は育ったのである。いえ、当時は毎年のように襲ってくる水害に悩まされ、長閑さを感じるゆとりはなかったであろう。聡明な林蔵は幼少の頃から自分なりに水害から身を守る方法を考えていたのかもしれない。

「生近くの水神宮」画像を見る
 間宮林蔵の生家の直ぐ近くに水神宮があった。やはり水神に対する畏怖心からであろう。小貝川周辺には水天宮とか水神宮が多いが、その殆どが小さな祠である。ところがここの水神宮は格別立派な本殿が建っていた。もしかして林蔵のなせる業?