「誰識古人画龍心」の謎

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河童の碑表面に掘られた「誰識古人画龍心」とはどう言う意味なのであろうか。平たく読むと「誰か識る、古人龍心を画を」あるいは、「古人龍心を画けるを」となる。
牛久市公式HPや牛久観光協会HPによると次のような解釈が載っている「昔の人は龍を描いて宇宙大自然の偉大さを表現したように芋銭は河童を描いて科学を超越した万物の根元である太陽系大自然の偉大な掟、即ち”道”の探求に生涯を捧げようと努力をしているが誰かこれを理解してくれる人がいるのであろうか?」これは公式見解とと言えるだろう。一方、小川芋銭と交流があった住井すゑの解釈は若干ニアンスが違う表現で次のように解りやすく、「昔の人がどうして龍を描いたか。龍というのはこの世にはいない。しかし自然界の不思議さ、なぜ宇宙があって、太陽系に地球があって、その地球にはいろいろの生物がいるのか、どこからどのように生物が生まれたのか、考えれば考えるほど不思議だ。」と、「小川芋銭効き歩き逸話集」に言葉を残している。いずれにしても哲学に裏付けされた奥深い言葉で、この真意を理解するには、老荘思想の勉強が必要かもしれない。

河童の碑裏面について

芋銭自筆による略歴が次の通り刻まれている。
明治元年二月東京赤坂溜池ニ生ル
同十四年本多錦吉郎経営ノ彰技堂ニ入リ洋画ヲ学ブ
亦市隠抱朴斎ニ赴就キ漢画ヲ凍問フ
後費漢源ノ画風
鳥羽僧正ノ筆赴ニ傾倒シ
南画及漫画ヲ描ク」
大正六年日本美術院同人トナル

自筆略歴によると、芋銭は、彰技堂で洋画を学びながらも、抱朴斎という市中の絵描さんから漢画を学んだ。その後、中国の画家費漢源に傾倒し、鳥羽僧正(国宝鳥獣戯画の著者)の筆趣に傾倒し、南画及び漫画を描くようになった。そして大大正六年日本美術院同人になったことが記されている。

所在地 牛久市城中町 雲魚亭に隣接 

河童の碑から望む牛久沼(画像を見る)