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芋銭さんの人となり

社会主義者と間違えられて

 貧しい人には優しく、権威主義を嫌う芋銭にとって、当時の社会主義者幸徳秋水らと、会い通じるものがあった。幸徳秋水が創設した「平民新聞」に風刺画を送っているから、親しく交流があったことは確かだ。しかし、芋銭は幸徳ら社会主義者とは一線を画していた。なぜなら芋銭は単なる絵描きであり、俳人であった。争いごとを嫌う芋銭にとって、政治活動より、世の中の矛盾不条理を絵の中に託そうとしたのである。

 こんなことがあったという。幸徳秋水事件に引責して、取締りが厳しくなった明治44年ごろ。芋銭は牛久沼のじゅん采を瓶につめ、東京の友人宅に届けるため、常磐線で上野に向かった。ところが上野駅を降りたところで、警察に連行されたのである。手にしたじゅん采を火炎瓶と間違えられたのである。
 こういう間違いが起きるほど、当時芋銭は官憲から要注意人物としてマークされていたのである。