芋銭さんの人となり
改善一歩
牛久市城中町を散策すると三叉路でお目にかかる道標・改善一歩、よく見ると大正11年4月建設と刻んである。さらに詳しく調べると、小川芋銭の力で建設されたものとわかった。
大正の時代、城中の青年会が道標を建てることを決めて、芋銭に相談した。計画を聞いた芋銭は、木の柱ではすぐに腐ってしまうから石柱にするようアドバイスをした。アドバイスだけでなく費用も出したという。
青年会ではその石柱に芋銭の名前を刻もうとしたら、当人からの強い要望で名前の代わりに「改善一歩」と刻んだ。世の中を善い方へ進めるという意味だったが、皮肉にも以後の歴史を省みると、芋銭の気持ちとは裏腹に暗い世の中へと進んでいった。
売名行為的な善意を極端に嫌う芋銭。芋銭の死後、芋銭を敬愛する人によって建てられた「河童の碑」には、この精神が引き継がれている。建築に労のあった人々の名前は一切刻まれていない。真の善意とは何なのかを、後世の人たちに問うている。