天神下の渡し場跡

 
天神下の渡し場跡

 牛久沼に沿って、三日月橋(牛久市城中町)から小茎(つくば市)に向かう道。本道は暫く牛久沼湖畔から離れ、平坦な台地上を進むと、やがて茎崎(つくば市)の中心部に出るのであるが、その1kmほど手前に沼岸に向かう道があり、その道を下りると「天神下の渡し場跡」に出る。まだ、茎崎橋がなかった頃の名残であろう。そこにはつくば市教育委員会設置の案内版が立っていて、当時の牛久沼農村の生活模様を知ることが出来る。
つくば市教育委員会の説明によると次の通りである。  ここには、昭和の初期まで「天神下の渡し場」がありました。当時の茎崎村東部と西部の岩崎地区を結ぶ重要な交通上の唯一の水路で、毎日多くの人々が往復し賑わっておりました。田舟よりやや大型の専用舟に客を乗せ、船頭が竿をさし櫓を漕いで対岸の「永作の舟渡」まで運び、船賃は歩行者二銭自転車利用者五銭でした。茎崎第一・第二小学校の運動会の際は、姉妹校への参加応援のため多くの児童がここを渡りました。また、板橋不動尊のご縁日には御参りに行ったお祖母さんがお土産に買ってくる名代の団子を楽しみに大勢の子供達が待っていたそうです。強風・荒波の日のために、水路には太い丸太が約十メートル間隔で立てられ、丸太を結ぶ針金が張られており、荒天の場合はその針金を手繰って向こう岸までは運びました。渡し場付近の沼底は、砂地のため子供達の絶好の水泳場となり、前記の丸太の岸から何本目まで泳げるかで水泳技量のランク付けをしていました。また、底まで見える水質と相まって魚介類が豊富に捕れ、天然鰻の宝庫でもあり、古沼しか生育しない「じゅんさい」という珍味な水草も採れました。沼に繁茂する藻は当時の田畑の貴重な肥料ともなり、夏季に漕ぎ出す藻採りの舟は若い男女の楽しい交歓の場でした。天神様は遠い昔、今の八坂神社に還宮され、天神山の土も殆ど森の里団地造成時に搬出され、今はその名残のみの地となっております。

 2000年3月 つくば市教育委員会

 


永作の舟渡跡

 茎崎運動公園の近くに、「永作の舟渡」の看板が建っていた。「天神下の渡し場」との間を舟が行き来し昔は賑わっていたのであろう。今ではその面影もなく当時を偲ぶのみである。つくば市教育委員会によって紹介文が書かれているが、「天神下の渡し場」とほぼ同文なのでここでは省略する。