序 章

 近代的な竜ヶ崎ニュータウンに隣接して女化(おなばけ)という地名がある。稲敷台地の南端に位置し海抜15m程の高台に広がる大地は、女化原と言い、かつては「東西三里、南北二里余」の広大な原野であった。現在の行政でいうと牛久市南部と竜ヶ崎市北西部に跨っていて、それは奇妙な地名であるとともに、その由来は数奇な歴史と共に謎めいていている。
 女化原は伝説で言うところの根本が原あるいは高見が原のことで、そこは関東ロームが堆積して出来た赤土と呼ばれる酸性土壌質で、明治の頃まで立ち木の生えぬ不毛の地であった。また狐が生息し、旅人を悩ませたという。
女化と言えば先ず、狐女房譚が思いつく、「利根川図志」「東國闘戰記見聞私記」「東國戰記寛録」などの記録物は栗林義長の英雄伝として、女化の風土を色濃く特徴付けている。
 更に、文化元年の牛久一揆は、水戸街道牛久宿を背景とした農民の反乱で、女化稲荷神社を本陣としたため女化騒動ともいう。「牛久騒動女化日記」「女化原夢物語」では、狐女房譚と供に牛久一揆のことが記録されていて、女化稲荷が古くから広く信仰を集めていたことが伺い知れる。
 近代に於ては、明治17年女化原で行われた近衛砲大隊射的演習の天覧のため、明治天皇の女化行幸がなされた。それと時を同じくして始まった女化原開拓の苦渋の歴史は、風土と郷土史を知る上で興味深い土地柄である。

 

伝説の世界(狐女房譚) 
「利根川図志」などに描かれている「狐女房譚」の風土について。
女化の伝説
「狐女房譚」を現代風にアレンジした民話
女化神社
「狐女房譚」の背景となった女化神社の情報。
女化騒動(牛久一揆)
牛久宿を背景とした農民一揆について。
女化騒動後記
牛久一揆首謀者の供養塔について。
明治天皇 女化行幸
明治17年に行われた天覧の近衛砲兵大隊の大演習について。
女化原開拓
江戸時代まで不毛の地と言われた女化原開拓の歴史

女化原(牛久市女化)

 参考文献

『女化』 女化開拓史刊行委員会
『女化の狐伝説』 龍ヶ崎市歴史民俗資料館
『龍ヶ崎市史/近世編〜近現代編』 龍ヶ崎市編さん委員会
『取手・龍ヶ崎・牛久の100年』 刊行委員会
『野分のあと』 木村右見 著書 筑波書林発行

 

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