竜ヶ崎の遺跡

 龍ヶ崎市は市北部を中心に昭和43年から始まったニュータウン計画により多くの山林、田畑が住宅地へと変わっていった。竜ヶ崎ニュータウンは計画人口8万人、まだ開発途上であるが年々賑わい増し、自然と調和した素晴らしい街並みが造成されている。そして自然が息づく街として更なる開発が進められている。その過程において太古の昔からの住居跡が次々と発掘された。その住居跡は旧石器時代から古墳時代の遺跡で、既に学術調査は終了し、ほとんどの遺跡は既に湮滅している。もう私たちの目に届くことはない。 
 竜ヶ崎ニュータウンは稲敷台地の南端に位置し洪積世に形成された標高20〜27mの高台で、地質は成田層、成田砂礫層を基盤とし、その上に常総粘土層、関東ローム層が堆積している。
ここではニュータウン開発事業で発掘された代表的な遺跡を紹介する。

沖餅遺跡

特徴

旧石器時代後期の遺物が出土。これらの遺物から判断して、龍ヶ崎市内でもっとも古く、細石刃文化期より新しい大型石器文化期に属していると考えられている。

データー

所在地
龍ヶ崎市若柴町沖餅(小柴一丁目)
出土した土器
旧石器時代後期
石核1点、舟底形石器5点、掻器17点、削器20点、Uフレイク15点、剥片140点、チップ類58点、尖頭器2点、敲石2点、凹石1点、礫120点

 

剥片4点 沖餅遺跡


小柴一丁目 沖餅遺跡付近

 竜ヶ崎ニュータウンの中でも、小柴一丁目は、10年一昔までは閑散としたところだったのに、近年、サプラ、Ks電気など大型店舗の出店が目白押しで、いま県南を代表する商業地区に変貌した。竜ヶ崎の中で、一番新しい街と言われている北竜台の小柴一丁目は、実は最も古くから人が生活し、文化を築いていたところだった。これも何かの因縁なのか。ここから旧石器時代末期の石器及び縄文時代、古墳時代の竪穴住居跡が発掘された。旧地名の若柴町字沖餅から若柴沖餅遺跡と言われている。.

   


 

赤松遺跡

特徴

 縄文時代(紀元前8千年?〜紀元前3百年)の竪穴住居、遺物を主とした遺跡。
 縄文時代は地球の温暖化が進み、氷河期は終焉した。このことに依って海面は上昇し海抜0〜4mの平野部は入海となった。これを縄文海進という。竜ヶ崎の場合、現在の平野部水田地帯、及び旧市街地は入海でニュータウンなどの高台は海岸沿いの陸地であった。縄文人達にとってこの稲敷台地は、海の幸や木の実が手に入れやすく、気候温和な住み易い土地であったことが想像できる。
  この遺跡は、沖餅遺跡から至近距離に存在しているので、このあたりは、古くから広範囲に集落が点在していたのであろう。現在の地名は松葉二丁目であるが旧地名から若柴赤松遺跡と言われている。、

データー

 所在地

龍ヶ崎市若柴町赤松(松葉二丁目)

 遺構

竪穴住居跡39件、土抗212基

 土器

深鉢形土器、浅鉢形土器、磨製、打製石斧、石鍬、凹石、土器片鍾、土製円板
*以上は縄文時代のもので、その他古墳時代のもの多数出土している。

 

赤松遺跡は今の龍ヶ崎市立松葉小学校付近にあたる。たまたま出土した場所が小学校建設予定地付近であったということはこの遺跡にとって、幸運であった。その後、生徒たち主導のもとに竪穴式住居は復元され、今では赤松遺跡の証となっている。

赤松遺跡全景
復元された竪穴住居(松葉小学校校庭内)
埴輪イミテーション(松葉小学校校庭内)
平成11年撮影、現在は新しい物に復元

 

    


           赤松遺構分布図

赤松遺跡竪穴住居跡       


赤松遺跡遺物投影図


 

廻り地A遺跡

特徴

縄文時代の竪穴住居跡が広範囲に発掘。現在の中根台全体に及ぶ。出土品も土器等種類が多い。

データー

所在地 

龍ヶ崎市馴馬町廻り地(中根台二丁目、四丁目)
出土品
 遺構
竪穴住居跡126件、土抗1877基、埋設土器25か所、貝塚87か所、方形集溝墓4基

 土器

縄文土器  加曾利EIV式、称名寺式、堀之内式
石器    石鍬、打製、麿製石斧、ハンマーストーン
土製品   有孔円板、土偶、土鐘、土器片鐘
石製品   敲石、凹石、石皿、麿石、石棒、浮子、玉
貝製品   貝輪、貝刃
骨角器   離頭銛、銛、牙製品
獣骨    鳥骨、魚骨、種子

 

縄文土器、廻り地A遺跡出土

    


廻り地A遺跡
中根台二丁目、四丁目付近

           


     現在の中根台四丁目

 


 

屋代A、B遺跡

特徴

 龍ヶ崎市内の中では数少ない弥生時代(紀元前3百年〜紀元3百年)の遺跡。
 縄文時代は海進現象で平野部が非常に狭まった時代であったが、その後地球の気候が僅かさがり、それに伴う海退現象によって沖積平野が形成され、今日のものと同じ地形が成立した。さらに渡来人によって稲作が伝授され急速に人口が増えた。それが弥生時代である。

 龍ヶ崎市全般において、これまで確認調査された遺跡は屋代A・B遺跡、外八代遺跡、南三島遺跡、尾坪台遺跡、長峰遺跡と全部で10ヶ所ほどで、いずれの遺跡の集落構成期も弥生時代中期から後期である。
 

データー

 所在地

龍ヶ崎市八代町

 出土した遺構

竪穴住居50軒
竪穴住居跡の規模は、5m前後のものが大半であり、最大のものは10.4.m×8.27mである。竪穴住居跡の内部構造のうち炉は地床炉であり、住居跡の中央部ないし西寄りに位置している。

 出土した土器

壺形土器、甕形土器
その他古墳時代から近世にかけての土器多数出土
屋代B遺跡


弥生土器イメージ(屋台A遺跡)

      

外八代遺跡出土土器投影図