龍ヶ崎が生んだ文化人 

 

杉野翠兄

安永年間から文化初年にかけて活躍した俳人。宝暦4年(1754)、龍ヶ崎村豪商伊勢屋杉野治兵衛家に生まれる。家業を継ぐとともに、俳諧の道にいそしむ。松尾芭蕉の流れをくむ大島蓼太の高弟として特に江戸で活躍し、蓼太の蕉風復興運動等、ともに行動する。天明元年(1781)には蓼太とともに筑波山に登り、翌年その記念として筑波山麓に風雪の碑を建てる。このことが切っ掛けとなって翠兄への入門者が増える。師大島蓼太の没後も二夜庵貞松や夏目成美らとともに江戸俳諧の雄といわれ、常陸、下総、下野に俳諧をひろめ、数百人の門弟を育てた。文化10年(1813)60才で没し、龍ヶ崎の大統寺に葬られる。

杉野翠兄が活躍した当時、龍ヶ崎地方では俳諧を中心とした文芸が盛んだった。天明元年(1781)大島蓼太が翠兄と筑波紀行のため当地を訪れる。寛政10年(1798)には、小林一茶も当地を訪れた。翠兄は一茶とも交流があったといわれている。

「筑波紀行」より

鴛の巣も かけてたのむや 筑波山    (蓼太)

つもる清水の 爰みなの川     (翠兄)

 

森田麦の秋


森田麦の秋
出展 森田麦の秋作品集 龍文ブックス出版

 本名を亀之助、雅号を麦の秋と称する歌人。明治20年(1887)、八原村羽原に生まれる。
大正14年(1925)より村会議員を勤める。昭和12年(1937)八原村村長に就任、昭和21年(1946)までその任を勤める。昭和26年(1951)八原村教育委員長となる。
 その一方、17才より作歌生活を始め、やがて横瀬夜雨の門に入り、夜雨の「いはらき新聞の木星」で活躍する。夜雨の信頼厚く、雅号の秋の麦は夜雨より賜ったものである。 「アララキ」並木秋人の「常春」田口白汀の「現実短歌」斉藤慎吾の「山柿」等の短歌j結社に関係し、吉植庄亮「橄欖」斉藤信吾と交流厚く、野口雨情、北原白秋、山村暮鳥との交流も深かった。
  大正時代、「いはらき新聞社」の「茨城歌壇」の選者として多くの若い後輩を指導した。秋の麦の作品は改造社発行の「新万葉集」講談社の「新万葉集」にも掲載されている。著者に、童謡集「千本松原」「夢くばり」歌集に「やままゆ」等がある。その他数多くの作品評論を新聞、雑誌(短歌誌)に発表している。郷土の誇りとする、農民歌人であり歌人村長であった。
昭和29年(1954)2月28日58才にて死去
 


龍ヶ崎市立図書館前、森田麦の秋歌碑

幼子の

みやげにぞせむ

山まゆの 一つ二つを

ふところにせり

                  秋の麦

澤 ゆき


澤ゆき
出展 沼の詩人澤ゆき全詩集 龍文ブックス出版

牛久沼を愛した沼の詩人澤ゆき。本名は相澤ゆき、のち飯野保平と結婚して飯野ゆきとなる。
明治26年(1893)稲敷郡茎崎村にて父相澤千里、母ための長女として生まれる。明治38年(1905)12才にて単身上京して日本橋区立千代田尋常小学校高等科に入学。明治41年(1908)技芸学校(現共立女子大学)に入学。明治44年(1911)技芸学校を卒業し、小茎に帰郷。同年河井酔茗富山房発行「学生」の詩の選評を担当する。この頃より森鴎外と親交があったと思われる。森鴎外の日記に相澤ゆきのことが度々書かれている。大正2年(1913)河井酔茗婦人之友社に入社。大正3年(1914)21才にて龍ヶ崎町で酒造業を営む飯野保平と結婚す。大正7年(1918)川路柳虹の「現代詩歌」が創刊され、ゆきは同人として参加する。翌8年「日本詩歌」(新潮社)にゆきの詩「悲しき愛」「小さなやすみ」が掲載される。大正10年(1911)詩集「孤独の愛」を曙光社より出版し、島崎藤村等が繊細な感覚を高く評価する。この頃が澤ゆきの詩作活動における意欲的で絶頂期で、「現代詩歌」「炬火」「日本詩人」等に多くの詩を寄せている。昭和6年(1931)佐藤惣之助の「詩之家」にも加わり、女流詩人の先駆けとして活躍するようになる。昭和37年(1962)69才の時詩集「沼」を黎明社から出版する。昭和41年(1966)「孤独の愛」の増補版を竹頭社から出版。この頃から龍ヶ崎市文化協会の詩部門顧問となり、地方文化の向上のために活躍する。昭和46年詩集「浮草」を光風社より出版。昭和47年(1972)79才にて死去。

 


龍ヶ崎歴史民俗資料館、沢 ゆき の歌碑

 

失いしものは しずかにして
        忘れ得ぬものは はなる
水草の下に そよめく愁の
            影 きわまりなし

 

永遠の初恋

十九よ 十九を抱いた

なだらかな沼よ


あがきを止めた十九の命を沼へ沈め

人妻と云う変った私のムクロ≠ノ

それからの太陽は色あせた



生きながらの死を得て

凡てが仇な消滅に急ぐ時

屍を虚妄に懸け

仮装の私は嘘に生きた


こころが極みにゆきつくと

尾鰭が生えて 私はただよい

藻草をまとい 水脈の夢にききほける


人の行為の届けない私の場所に

水鳥がむらがり

発作にまさる鳴音の一つ一つを接ぎ合わせる

いじらしい屈託の姿

七十の近くで

今も私は

沼にあずけた 十九の孤独に

初恋する

沼から浮ぶ寂寥は

永遠に波打つ

恋である



沼にきく

また

むすめご≠ェひとり

沼ある星から減った

−乙女−と云う

冠をすて

嫁に掠られた

惜しくはないか

沼よ


「沼の詩人澤ゆき全詩集   沼、一」より