絹本著色 十六羅漢像(国指定 絵画)
指定年月日 大正6年4月5日
所在地 龍ケ崎市若柴町866
管理者 金龍寺 茨城県立歴史館寄託
制作時期 14世紀前半
| 絹本着色十六羅漢像16幅は画聖李竜眼の作で、曹洞宗開祖道元弾師が宗に渡り、天龍山で修行を積み、安貞元年(1223)帰朝のおりに、南宗の理宗皇帝から賜わったもので、初めは、曹洞宗本山永平寺にあったが、その後、鎌倉の北条氏が保有し、鎌倉幕府滅亡のとき(1333)、新田義貞が戦火の中から持ち出し、金龍寺に寄せられたといわれている。 羅漢図の表現は、繊細な描線で謹直に描かれ、特に服飾にみられる諸色金泥を用いた精巧な文様が特色で、描法は、和風化されている。 制作は14世紀前半頃と思われ、16幅揃った羅漢図の古作として、美術史的にも高く評価されている。 |
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| 写真出典 龍ヶ崎市史 |
撞舞(国選択無形民俗文化財 民俗芸能関係)
指定年月日 平成11年12月3日
所在地 龍ヶ崎市
保持団体 撞舞保存会
| 撞舞は、関東三大奇祭の一つで、毎年7月27日の八坂神社祇園祭の最終日に行われる。高い柱の上で暗緑色の衣装を纏った「舞男」が曲芸を披露する郷土芸能で、19世紀前半以前から伝承されたものと考えられる。 撞舞が行われる柱は、15mほどの丸柱で、先端に横木をつけ,その上に円座を載せる。舞男と称する舞の演じ手は,筒袖襦袢に裁着袴の衣装と雨蛙の被り物を被り、囃子にあわせてつく柱に上る。途中で曲芸を見せながら頂上に達すると、円座の上に立ち上り東西南北に矢を射る。その後、様々な曲芸を演じ,最後に頭を下にして斜めに張った綱を滑り降りる。 撞舞は、古代に中国から伝来した散楽の流れを汲む蜘蛛舞からきたものといわれ、雨乞い、つまり五穀豊穣を祈願している。 |
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多宝塔(県指定文化財 建造物)
指定年月日 昭和33年3月12日
所在地 龍ケ崎市馴馬町2362
管理者 来迎院
制作時期 年代不詳
| この多宝塔は供養塔とも呼ばれるが、正しくは多宝塔を称し、大日如来の本体としている。 当地領主土岐治英は、南朝の征夷大将春日顕国以下、戦に敗れた幾多の戦土の霊魂の冥福供養のため、さらには万民安泰のため、後に奈良天皇の御政所に奉し、如来の加護を祈って、弘治2年(1555)、この塔を建立したもので、当山本寺の逢善寺第15代定珍和尚によって開幕された 塔は三間多宝塔で規模は余り大きくない。初重の四方は中央間に桟唐戸を建て脇間は正面のみ連子窓で他の三方は板壁となり、周囲に縁を廻している。 組物は初重が出組挙鼻附で、二重は四手先になり、いずれも唐様である。 軒は上下とも二重繁捶になる。 内部は鏡天井、板床で来迎壁前(現在壁を欠く)に簡単な須弥壇がある。 挙鼻、頭貫鼻、隅木練型など同一意匠になり、初重桟唐戸も改造されているが、背面に当初のものと思われるものが使用されていることは非常に幸いで、よく室町時代の特色を示している。現在の建物は平成13年に修復されたものである。 |
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鰐口(県指定文化財 工芸品)
指定年月日 昭和33年3月12日
所在地 龍ケ崎市川原代町1050
管理者 安楽寺
制作時期 南北朝時代
| 鰐口とは、仏堂・拝殿の前面の軒につるし、参拝者が前に垂下した綱を引いて、祈願のため打鳴らす大きな鈴で、日本独特の青銅及び製で出来ている。名前の由来は古くは金鼓・金口などと書いて「ごんく」と訓んでいたが、その姿により室町時代から鰐口とよぶようになった。 当地、天台宗恵雲山安楽寺所蔵の鰐口は、鼓面は柔らかに盛り上がり、力量感にあふれている。 鐘座は中央に蓮華紋を鋳出し、表裏とも各3本の覆輪付で、銅紐つり手が2ケ所付いており、表面の外輪にそって、左右に彫銘がある。 彫銘にある文和2年(1353)は南北朝時代にあたり、世情不安定な頃です。そこで天台宗の高僧賢海法印が安楽寺に来住されたのを記念して、大勧進沙門(寺院健立を司どる僧職)がおさめたもの。なお、同年「安楽寺推鐘・沙門榮金・・・」の銘がある梵鐘が、千葉県郷土館に所蔵されている。 |
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丸木舟(県指定文化財 考古資料)
指定年月日 昭和50年3月25日
所在地 龍ケ崎市248龍ヶ崎一高内
管理者 龍ケ崎市観光協会
制作時期 古墳時代
| 丸(独)木舟は、1953年(昭和28)に龍ケ崎市の八間堀付近、牛久沼の樋門工事中、地表下約1.5mの砂層から発見された。 材質は松材で、舳先と艫の一部を欠失している。 残存部全長は626cm、最大巾は舷側の中央部付近で65cm、厚さ7cmを測る。 丸木舟の舷は、上方に向かうに従って内側へカーブをえがき、内側のえぐりも舷のカーブに合わせて内彎するように削られている刳舟で、舷の上端では舟の巾は著しくせばめられており、古墳時代の丸木舟の特徴をよくあらわしている。 古墳時代の丸木舟の発見は少なく、この舟のようにほぼ完全な形で発見されたのはまれである。 市の観光協会は破損を防ぐために龍ヶ崎一高に保管を依頼した。 |
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| 写真出典 龍ヶ崎市史 |
馴馬城跡(県指定文化財 史跡)
指定年月日 昭和15年4月5日
所在地 龍ケ崎市馴馬町2507
管理者 山崎テルコ
制作時期 南北朝時代
| 馴馬城跡は、稲敷台地の南端に伸びる3kmの台地上にあり、舌状台地の先端を堀切で区切るという類型的な構造をしている。ただ城域の東側と南西部がかなり削られていて、城跡であることを明瞭に示す遺構は少ない。全体としてめりはりのない城であったと考えられが、そのこと自体が南北朝時代の古い形を止めていると言える。 馴馬城は南北朝動乱のかなり早い時期に、城主が誰だったか不明であるが南朝方の拠点として存在していた。しかし暦応4年=興国2年(1341)及び康永3=興国5(1344)年の2度にわたり、足利方に攻略される。 一見ただの雑木林に見受けられるが、龍ヶ崎地方における南北朝攻防の歴史を語る貴重な史跡である。 |
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龍ケ崎のシダレザクラ(県指定文化財 天然記念物)
指定年月日 昭和28年7月9日
所在地 龍ケ崎市3341
管理者 般若院
| このシダレザクラ(枝垂桜)は、エドヒガン(江戸彼岸)の園芸品種で、しだれ性を持っている。 樹齢は推定350〜400年、樹高約10m、目通り幹囲約5m、枝張り東西約15m、南北約22mである。枝垂桜の巨樹、老樹、そして開花時の美しさは他に類をみない。 4月上旬の桜祭りには地元青年会によりライトアップされ,、訪れた大勢の花見客の目を楽しませてくれる。 |
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市指定文化財
金剛力士像 (彫刻)
所在地 龍ケ崎市城ノ内
管理者 桂昌寺
十一面観世音 (彫刻)
所在地 龍ケ崎市小通幸谷
管理者 慈眼院
仙台領柱 (歴史資料)
所在地 龍ケ崎市馴馬
管理者 歴史民俗資料館
貝原塚おごど囃子 (無形民俗文化財)
所在地 龍ケ崎市貝原塚
管理者 貝原塚おごど囃子保存会
道標 (史跡)
所在地 龍ケ崎市若柴町
管理者 馴柴小学校
蓼太句碑-りょうたくひ-(史跡)
所在地 龍ケ崎市砂町
管理者 医王院
八坂神社本殿 (建造物)
所在地 龍ケ崎市上町
管理者 八坂神社
坂碑 (考古資料)
所在地 龍ケ崎市貝原塚
管理者 金剛院
寒山竹 (天然記念物)
所在地 龍ケ崎市大塚町
管理者 石嶋幹夫
寒山竹 (天然記念物)
所在地 龍ケ崎市上町
管理者 杉野正三
竹柏-なぎ- (天然記念物)
所在地 龍ケ崎市横町
管理者 大統寺
欅 (天然記念物)
所在地 龍ケ崎市上町
管理者 八坂神社
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