ラストインタビュー

いのちを見つめて生きる

「家の光」'96年12月号より

1996年、家の光12月掲載の「いのちを見つめて生きる」と題した特別インタビューで、住井すゑは女性の権利や命の尊厳について語っている。
 12月号発売の翌1月には急に足腰が立たなくなり入院、半年後に他界されたことを思うと、このインタビューが生涯最後の仕事となり、“いのちを見つめて生きる”それは自分自身の残り少ないいのちとの闘いだったのかもしれません。
 どうぞ、住井すゑ最後の熱弁をお聞きとどめください。

インタビュアー  野上 圭さん(家の光)

日本が世界に誇る文学者・住井すゑさんは、1902年1月7日生まれ。今年94歳になられた。
 部落差別をテーマにした大河小説『橋のない川』の第1部を書きはじめたのが55歳のとき。そして第7部を脱稿したのが90歳。いまなお、第8部に向けて意欲を燃やしておられる。
 『橋のない川』を書くことによって住井さんが闘ってきたのは、差別を容認・温存し、その上に胡座かく社会であり、そして自身のなかに潜む弱さでもあるという。
 住まいは茨城県牛久市。牛久沼のほとりである。ケヤキや桜の巨木に囲まれた住井さんのお宅では日だまりのなか、猫たちがくるんと丸まったり、長々と手足を伸ばしたり、思い思いの格好で昼寝の真っ最中だった。
 今回のテーマは『女性の権利』。今日でこそ女性の社会進出が盛んになり、女性の役割を改めて見直す動きが出ているが、女性が今日の社金的地位を獲得するには長い歴史が必要だった。なにしろ女性が参政権を得たのすら敗戦後の1945年12月のこと。人権週間(12月)にあたって、女性は真に正当な権利を獲得しているのか、どんな権利を見失わずに生きていけばいいのかおうかがいした。

女性に半分任せりゃいいのにね

野上 住井さんは1930年、28歳の年、女性アナキスト(無政府主義者)たちが創刊した雑誌『婦人戦線』に参加するなど、戦前から女性の地位向上をめざして闘ってこられました。今日、女性は男性とまったく同等に権利を取得して自由に羽ばたいているようにみえますが、実際には、まだまだ女性であるがゆえの締めつけや差別によって生き方を抑えつけられているように思えます。女性の権利、自立についてお話をうかがわせてください。
住井 女性のエネルギーを100パーセント使いこなせる政治家がいたら、こりゃあ世界一ですよ(笑)。男には女のエネルギーを使いこなす力がないの。男が価値の基準で、女はお相伴的な存在だと思っているけど、そうじゃない。世の中、女がいなくなったらつぶれるんですから。女は命の本元なんです。だから男も女も人間として平等に生きなきゃいけないんですけどね。
野上 しかし、なぜか男性優位の社会のなかで女性はその支配下に抑えつけられて生きてこざるをえませんでした。
住井 それは、男がバカだから(笑)。半分は女に任せて女の意見を聞いて物事を進めていけば男も楽なのにね。男の気どりが彼らを不幸にするの。でも、男が好きで重たい荷物を背負ってるんだから、背負わしておけばいいのよ。(笑)
野上 女性の自立運動、部落解放運動など、一貫して、人類みな平等の立場で闘ってこられましたが、その根底はどこにあるのですか。
住井 小さいころ、家は農家ですが機屋もやっていましてね、雇い人がたくさんいたわけです。そういう人たちといっしょに暮らしていて感じたのは、雇い人の人たちは人間扱いされていないということでした。これはおかしいと思いました。たとえば、わたしたち家族が白いご飯やおかゆを食べていても、彼らは麦飯。食べる場所も土間へ腰掛けを出してといったぐあいです。
 では、雇っている側のわたしの家族はみないっしょかというと、家族のなかにも差別があるのです。父親と長男は座敷の畳の上でおかずも多くてごちそう。ほかの家族は、土間のところにある大きな板の間でおかずも少ない。子どもって非常に純粋に平等ってことを考えるでしょ。だから社会の仕組みのおかしさにだんだん気づいていったわけです。6歳のころです。
野上 そのおかしさの始まりはどこにあると思いましたか。
住井 たぐっていけば、天皇制がまちがっていると思いました。人間に貴賤の別はないわけですから。人間は自分で自分を治める、これがいちばん正しいんです。日本人には哲学がないのです。かといって宗教もない。“金”なんですね。
野上 日本人には哲学がないと言われましたが、どんな哲学をもてばいいとお考えですか。
住井 それはね、人間は時間のなかに平等に生きている命だということを認めることなんです。人間ってまことに不思議な動物でね、もっと長生きしたいとか、名誉も金も欲しいとかいろいろ考えるでしょう。でも人は時間の前ではみな平等で、あらゆるものを支配するのは人ではなく時間なんです。そして、かならず死ぬ存在であることを認識することだと思いますね。

このがんばりは女でなければ

野上 『婦人戦線』という雑誌で活動されていたころのお話を聞かせてください。
住井 あれはね、長谷川時雨さんたちの作った『女人芸術』に対抗して、女性アナキストが作った運動雑誌なんです。みなさんがよく耳にされる人としては高群逸枝、平塚らいてうさんといった人たちがいました。無産婦人芸術連盟といって、発行責任者は高群さんでした。
野上 平塚らいてうというと、「元始、女性は太陽であった」の『青鞜』の創刊者ですね。どんな方でしたか。
住井 そのころ、わたしはよく子どもを背負って会議に出てたんです。そうすると子どもを背から下ろしてくれたり、おしめを取り替える手伝いをしてくれたり、また背負わせたりしてくれるのは、いつもらいてうさんでした。らいてうさんは人間としてよくできた人でしたね。
野上 高群さんは、どんな方でした。
住井 高群さんは懇意にしていた仲だけど、わけのわからん人でね(笑)。はっと驚くようなすばらしい理論でしゃべるわけ。でもそれは亭主の橋本(憲三)さんがみんな考えてるの。1日じゅう、女性史の勉強をしている高群さんのために、橋本さんは朝から晩まで飯を作り、お茶を沸かし、365日、高群さんがどう行動すればいいか、いろいろな本を読んで研究しているから、運動の方針を考えるなんてわけないことなの。ところが実生活とあまりにチグハグなもんだから、最初はみな、すごい考えだと思うけど、後が続かないのよ。ほんとうに高群さん夫婦っていうのは、おもしろい妙な夫婦だったね。(笑)
野上 当時、女性が圧迫された状況のなかで、具体的には女性のどのような姿を求めておられたのでしょうか。
住井 いっさいの差別のない平等の社会です。でも、彼女たちのめざした“自立”は空論でした。実生活に足がついていないのね。口ではそう言っていても、実際の彼女たちの生活はきわめてブルジョワ的。小作争議ひとつ解決できない。彼女たちのいちばんの欠点は、そういう運動をやっていながら、自分自身がはだしになって働くという決意が全然なかったことです。世間からは先生と呼ばれて、木綿の着物なんて着たことない人たちなんですよ。わたしからみたら、みな偽物でした。みんなブルジョワ知識婦人の「わたしは頭が社会科学的に高級に働くから、民衆の力になってあげる」というある種の優越意識。人間として生きるための命がけの闘いだという決意は感じられませんでしたね。
野上 戦前の暗黒の時代、そして戦後の参政権の獲得、ウーマンリブの台頭といった流れをどうご覧になりますか。
住井 この国にはこの国なりに婦人運動もあったし、いろんなこともあったんだなと、人間だったんだなと、なんだかほっとしますね。ばかなことでもやってきたということは人間の証拠ですから。(笑)
野上 その後、子どものころの原体験に戻って、人間そのものの解放運動-部落差別の問題や天皇制の問題に進まれるわけですが、それには、らいてうさんや高群さんたちとの考え方の違いが大きな原動力になったのではないでしょうか。
住井 それもあります。それに、らいてうさんたちを批判しながらも、やっぱり女でなければこのがんばりはできないと思うこともありました。らいてうさんは人間全体の成長を考えた人、そのときの流行に自分を合わせるなんてことはしない人でした。

国は女でもつんです・・・

野上 農家の女性たちも、今は機械が導入されて省力化が図られてきましたが、少し前まではたいへんな労働をしてきましたよね。
住井 ほんとうにそうですね。女の労働力なしに日本はありませんでしたね。男はちょっと一杯飲むとどこかへ飛んでっちゃう(笑)。国は女でもつんです。一家が女でもつようにね。女がどっしりと構えていれば安泰なんですよ。
野上 それは、目先のお金や流行にとらわれることなく、自分を見つめるということですか。
住井 そうです。われわれ女は命を継承する大きな役割と使命をもっています。ですからただ単に子どもを産み育てるという観点だけでなく、あらゆる命を尊び、地球全体の命を守る、そういう幅広く奥深い理念が必要です。子どもを産むことができる女性は、すべての命をつかんでいるんですよ。男にとって命は借り物だけど、女にとって命は自分のものなんです。女は命を見つめて生きることができるんです。
野上 出生率がどんどん低下して、いまや1.4パーセント。2人を切っていますが。
住井 天から女性に与えられた法則、産むという使命を放棄してはいけませんね。お先真っ暗な状況のなかでは産むことをためらうとか、産み育てることと、働くことの両立を支える社会のシステムが整っていないということもあるのでしょうが、どうせお先真っ暗なんだから、めちゃくちゃに産んじゃったらいい(大笑)。時間の前に平等の命を見つめる。そして女性はその命を握っている。このことをたいせつにしたいですね。
野上 ありがとうございました。住井さんはいま150歳だよっていうくらい、お元気でいてくださいね。
住井 ハハハ‥‥そうね。まだまだやらなければならないことがたくさんありそうだからね。(笑)

野上圭様及び家の光編集部様ありがとうございました。