第7回

住井すゑ先生ブロンズ胸像披露

2004年6月13日(日曜日)PM 1:00 於、抱樸舎

主催  第一月曜学習会  胸像募金の会

お披露目の瞬間
参加者の中から選ばれた4名によって序幕が行なわれました。

「野ばらの日」は今年第七回を迎えますが、毎回、会場に掲げられたパネルを介して住井先生在りし日の面影に接しております。
 抱樸舎を訪れ、居問の一隅に置かれた住井先生の石膏像に気付かれた方は印象を深くして目にされたことと存じます。
 この事に就きましては「この状態のままでは、永い問には破損するおそれもありますので、ブロンズ像にしておけば移動や定置するにも安心です。絵や写真とは異なってブロンズ像であれば先生を偲ぶよすがにも、立体感もあり、身近な風貌として触れることもできると思います。」と大田住夫・かほる夫妻に申し上げた折「住井ファンの皆様がそのほうが良いとおっしやって下さるなら異存はありませんので、ご好意は有難くお受け致します。」とのことでした。
 このような経緯に立ちまして「住井すゑ先生のブロンズ胸像制作のための基金の会」を発足する運びとなりました。

以上、「ブロンズ胸像制作のための募金会」からのお願い より抜粋

「ブロンズ胸像制作のための募金会」からのお礼

このたびは、住井すゑ先生のブロンズ胸像制作にあたり、多くの方々から募金を戴き、お陰様にて本日、住井すゑ先生のブロンズ胸像を御披露できることになりました。誠に有り難うございます。
 護憲、反戦、反差別、平等、人権、そして歴史の中の虚構性について生涯に亘り説かれてまいりました住井先生の文学者精神は、21世紀初頭の私たちにとりまして大きな心の支えになります。
 いま、ブッシュ・小泉など一連の勢力と呼応している危険に満ちたファシズム指向の潮流を阻止するためには、平和と民主主義を守る闘いを強く進めなければなりません。
 先に御案内申し上げましたとおり、胸像は抱樸舎と先生の書斎に定置されます。これは、先生の75歳と85歳の頃の石膏像をブロンズ像にしたものです。
 住井ファンの私たちにとりまして凛とした慈母の温容は頼もしい存在感を湛えて私たちを迎えて下さることでしょう。そして私たちは励まされ心洗われる思いに浸ることでしょう。
 さて、先生の人生緑とでも云える「天と雲の如く」に於いては年代を越えて今日性の大変濃い警醒の真実を語られており、辛辣さを含んだ文脈にはひとしおの共感湧き上がるものがあります。先生は、真正面から私たちの心底に大きな感動を与えてくれる生粋の民衆の作家であると存じます。
 このたびの事は「野ばらの日」にとって今後の永い歴史の道半ばの里程標であると存じます。
 ご協力誠に有り難うございました。

2004年6月13日 第七回「野ばらの日」にあたり

会場となった抱樸舎入り口

開演前の受付

抱樸舎第一月曜会の小島英一さんが司会を担当

募金会発起人の小笠原徹さんの挨拶

胸像制作者、加太肇江(かぶとちょうこう)先生の挨拶

住井すゑの次女、増田れい子さんの挨拶

参加者の方に、住井すゑの想いを語っていただきました。

「住井すゑ百歳の人間宣言」のプロデューサー鈴木文夫氏も一言

北爪真佐夫さんのお話
テーマ「天皇制と元号」

北爪真佐夫さんのプロフィー
元札幌学院大学教授  歴史研究者 特に中世史

北爪真佐夫さんは、住井すゑさんの思い出から、元号・天皇制についてお話をされました。そのお話は予定の時間を超過し、1時間半にも及びましたが、参加された皆様は興味深く耳を傾けておられました。
その中で、時に印象に残ったお話を次に要約しました。
住井すゑさんから、「北爪から頑固一徹を取ったら何も無くなる」と言われたことが忘れられない。『橋のない川』は今再読中であるが、あの小説には当時の風俗習慣、農村の生活模様が詳しく書かれている貴重な小説である。
昭和は、大正15年12月25日に改元。出典は、書経の「百姓昭明、万邦協和」である。平成に付いては公表されていない。元号の決定はあらかじめ10個前後の候補名が挙げられ、その中から選ばれる。明治は、過去の選定に於いて、室町時代「長享」と決定の時の12の候補として顔を出していたが、落選している。江戸.時代に、「慶安」「承応」「天和」「正徳」「元文」「嘉永」「文久」「元治」の時に候補名となっていて、これは人気があることの証明であるが、反面、8回も落選しているので不吉だとして、明治(おさまるめい)と酷評された。

日本に於いて、元号が使われるようになったのは、大化(645)と考えられているが、その後空白時期があり、継続的に使われるようになったのは大宝律令(701)による。今のように、元号が天皇の一世一元になったのは明治憲法が定めた旧皇室典範による。その考えは古代中国の考え方で、皇帝は時間と空間を支配する者で、そのゆえ死の直前まで任務しなければならなかった。

大手新聞社各社は2004年(平成16年)と年号表示している。産経新聞だけは平成16年(2004年)と元号に重きをおいている。世界を見ても元号を使っているのは、日本が唯一で、これは1979年(昭和54年)の元号法制定により法的根拠が無く、慣習によるものとなっている。

加太肇江先生制作のブロンズ胸像

参加者全員へのプレゼント 住井すゑの人生録「天と雲の如く」