住井すゑが呼んだフーテンの寅。
そこには喜びや悲しみ、人の心を写す牛久沼があった。
牛久市城中町抱樸舎で住井すゑを中心とする学習会が開かれていた。そこに講師として訪れた山田洋次監督。
山田監督は牛久沼を見て、その周辺に広がる新興住宅地と沼のコントラストに興味を持ったという。そして、次の映画には遠距離通勤の会社員を登場させることを考えた。
牛久沼を中心とするシーンを通して、この映画の意図を考えてみました。
※以下、使用写真は映画「男はつらいよ・寅次郎真実一路」よりキャプチャー
夜明け前の牛久沼の風景。人も、沼も、山も、総てがシーントと寝静まっている。
その静けさの中を、夜明けが待てないのだろうか、一羽の水鳥が一直線に泳いでいる。やがて鶏の朝を告げる鳴き声が森の里団地に響き渡る。
早朝の牛久沼(東谷田川)茎崎側道橋付近
森と沼に囲まれた新興住宅地森の里団地。
朝を告げる鶏の鳴き声が聞こえてくる。やがて朝あけのひかりが住宅にも沼にも差し込み、沼は家々を写して輝いている。牛久沼のこの辺は、東谷田川と呼ばれていて、細長く延びた沼面は、沼というよりも、むしろ大川の様相をしている。
早朝の6時、まだ薄暗い住宅地。一人二人、沼のほとりの道を急ぎ足で歩いている人の姿。早朝の出勤風景が始まろうとしている。
自転車に乗って出勤する男の姿がある。富永である。富永は毎日、牛久駅まで3kmの道程を自転車に乗り、そして牛久駅から常磐線、山手線に乗り継ぎ、東京日本橋兜町まで、※約1時間45分かけて通勤している。俗にいう遠距離通勤者である。
※通勤時間は推定。映画のセリフの中では1時間30分となっているが、現実的には難しい。
富永の家の中。
寅次郎はやっと目がさめる。
「どこだ、どこだ」と寅次郎は身に覚えのない部屋をキョロキョロと見渡す。
実は、寅次郎は前夜、ふとしたことから友達になった証券会社のエリートサラリーマン富永と上野の焼鳥屋で深酔いをしていたのだった。
部屋中をうろうろしているうちに、洗濯物を干し終わった富永の妻ふじ子と顔をあわせ、その美しさに驚愕する。しかし寅次郎は誰だかわからない。
「あのう、よく眠れましたか?洗面所に歯ブラシとタオルを用意してありますが」と、ふじ子。
寅次郎は「はい、あのぅ。大変失礼ですけども、そちらはどこのどなたでしょうか?」と、問う。
「富永の家内のふじ子ですけど」
「富永さん?」
「夕べ主人と一緒に酔っ払ってお見えになったでしょう」
「ああ、九州の、、課長さんの奥さん」
「はい」
「あ、こりゃこりゃ大変失礼しました」
寅次郎は外の様子を見ながら、「奥さん、あのぉ、ここはどこあたりでししょうか?夕べ長~い時間電車に乗った気がしますが」
「茨城県の牛久沼ですよ」
「牛久沼?はぁ~、じゃ課長さん、ここから毎日東京へ行ってるんですか?」
「はい」
「疲れるだろうなぁ、じゃ、まだねてるんですね」
「7半に会議があるんで朝6時に出かけたんです」
「朝の6時?」
「毎日なんです。3年前までは都内の公団住宅にいたんですよ、主人がどうしても自分の家を欲しがって、それで、水や山のあるところがいいからって、結局こういうところに、なにしろ田舎育ちだから」
寅次郎は窓の外を見回して、「ここはいいところですね。静かで」
「ええ、子供にとってはね」
「お子様は?」
「もうとっくに学校へ行きました」
「ということは、奥さんと俺の二人っきり、あの、、」
寅次郎は一つ屋根の下にふじ子と二人っきりであることを知り、これはまずいと思ったのか、慌て富永の家を出てゆくのだが・・・。
柴又のトラ屋に戻った寅次郎は、ふじ子への想いが昂り、やがて恋煩いとなる。
自分の家が欲しい。それも山や水のあるところがいいからと言う富永の希望。それは故郷の鹿児島の海に囲まれた田舎で育った郷愁に似た憧れ。その郷愁の行きつくところが牛久沼だった。
富永は沼を見下ろす水辺の理想的な家を見つけたのだが、遠距離通勤という代償は大きかった。
晩秋の常盤路。しなやかで雄大な筑波山を背後に、2両連結のジーゼル列車が走り去る。
今では懐かしい、関東鉄道筑波線。この映画公開の2年後(昭和62年)、数々の思い出を残して廃線となる。
筑波神社の参堂を行き交う大勢の参拝者。
ずらり並んだ露天。がまの油売り、そしてサンダルの叩き売りをする寅次郎。寅次郎はがまの油売りに負けずと「泥棒の始まりが石川五右衛門なら英語の始まりはABC・・・・」と、いつもの口上を大きな声で喋る。そこにはテキ屋家業と言う自由奔放な寅次郎の姿があった。
どこで仕事をしてもいい。この気楽さは、寅次郎を常盤路へと向かわせた。紅葉狩りで賑わっている筑波山へ。その心の中は、ふじ子への想いでいっぱいだった。何かのついでにもう一度逢いたい。全国規模で商売をしている寅次郎にとって、牛久沼と筑波山は目と鼻の先だった。
やがて、富永病気との知らせを受け、寅次郎はふじ子のもとへ行く。それが富永の失踪と分かり、彼女の力になってやろうと奮起するのであるが・・・・。
ふじ子との二人っきりの富永探しの旅は、切ない思い出だけを残して、なんら成果がなく柴又へ戻った寅次郎。
寅次郎は、心のどこかで、富永が戻らないことを祈っていた。そんなことを考える自分の醜さが嫌になり落込む寅次郎。ふじ子のことを忘れて、旅に出ようとしていた寅次郎のもとへ、ひょっこり現れた富永。富永は不精ひげを生やし、うろたえた表情をしている。
突然の富永出現に、トラ屋は大騒ぎ。ただ、ひたすらふじ子の幸せを願う寅次郎は、富永の手を引っ張り、急ぎ足で牛久沼へ直行する。
タクシーが富永の家で止まった。寅次郎と富永が降りる。
寅次郎は玄関を開けて、「奥さん、奥さん居るかい?」と、ふじ子を呼ぶ。
遠くからふじ子の声「寅さん?どうしたの?」
「だんなさん帰ってきたよ、今すぐつれて来るからね」
寅次郎は、玄関先で待っている富永に声を掛ける。「行ってやれ!、しっかり二人を抱いてやれ」
富永とふじ子の再会。ふじ子は富永の体を叩きながら泣き崩れる。
「パパ!どこ行ってたんだよ。ママ泣いてたんだよ」と泣き叫ぶ息子。
その様子を玄関先からじっと見つめている寅次郎。これでいいんだ、これでいいんだ、ふじ子さへ幸せになれば〟と自分に言い聞かせる。
しかし、寂しさを隠し切れない寅次郎はじっと牛久沼を見つめている。これでいいんだ、これでいいんだ〟と沼に話しかけるように。
寅次郎は、「おとうさん釣れるかい?」と、釣り人に声を掛ける
釣り人は「釣れない」と、せつない返事。
寅次郎は再び旅に出る。
車(くるま)家に届いたふじ子からの年賀状が読み上げられる。画面は牛久沼へと移り、そこには釣りを楽しんでいる富永親子の姿があった。
あけましておめでとうございます。
不思議な縁で皆様とお知り合いになれたこと、うれしく存じております。
おかげさまで、主人は会社の特別な計らいで退社を免れ、12月1日付けで土浦勤務となしました。
仕事の忙しさは相変わらずですが、以前と比べて主人は私の身近に居る人のように思えるのです。
私たちは毎晩のように寅さんの噂話をしています。
寅さん、今どこにいらっしゃるのでしょうか?
私は、寅さんと一緒にした旅をきっと一生忘れません。
牛久沼は東京からも比較的近く、最近はブラックバス釣りで有名になり、休日はたくさんの釣り客が集まる。しかし、この映画が作られた当時は、ふなやヤマメ、うなぎなどの在来種の魚がたくさん釣れた。沼の生態系が、ここ10年来大きく変わって、最近は外来種の魚が主流になっている。
釣りの好きだった富永はこの変化をどう思っているだろうか。山田洋次監督も予期しなかった自然界の異変である。
湖のように広い牛久沼
庄兵衛新田(龍ヶ崎市の沼を挟んだ飛び地)より、龍ヶ崎市佐貫駅方面を望む
。勤務先が近くなり、家族団らんの時が持てるようになった富永家族。おそらく休日は親子で釣りを楽しむ機会が増えたのだろう。目の前には牛久沼と言う絶好の釣り場があった。
家族とともに過ごす"ゆとり〟それは単に、勤務先が近くなったからという、時間的なゆとりだけではなく。土浦勤務という、いわば都落ちによって、出世街道から外れたことによる心境の変化。富永にとって、それが本当のゆとりであった。
出世を夢見てアクセク働くサラリーマンへの警鐘ともいえる作品だが、改めてこの作品を見ると、バブル崩壊後の低成長の日本経済、企業のリストラが日常化している今日において、少々的外れな感じがする。しかし、「家族の絆の大切さは、いつの時代でも変わらないよ」、と山田洋次監督のメッセージが込められている。
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