常磐線佐貫駅と竜ヶ崎ニュータウンに挟まれた小高い丘に若柴という集落がある。
周辺が次々と新興住宅地として変貌する中、ここだけは明治の村のかたちを残し続けている。
そして、周囲を雑木林や竹薮に囲まれた古い町並みが、新聞雑誌でたびたび紹介され、
格好のウォーキングコースとして注目が集まっている。
平成12年、るるぶ情報版「大人の遠足」関東版(JTB発行)「江戸の面影を残す街道・町並み」という特集に掲載された。
古くは光國、幕末に慶喜も通った五街道に次ぐ重要街道、水戸街道。
「水戸街道の往時の名残を今にとどめる若柴」として紹介。
この情報に当サイトは一部写真を提供した。
平成13年、龍ヶ崎市の広報りゅーほーで、「歴史・自然・伝説が残る若柴地区の魅力を巡る散歩道」として紹介された。
この情報は、当サイト「竜ヶ崎・若柴の散歩道」HPを参考資料として、筑波研究学園専門学校の学生4名が、建築デザインの立場から「若柴の散歩道」を提案。ヒストリー・ファンタジー・ネイチャーという3つのテーマて区分けされている。
平成14年の、暮らしとパソコン1月号では、若柴宿の情報発信している「竜ヶ崎・若柴の散歩道」ウェーブマスターの私にスポットライトが当る。
「インターネットを旅してわが町の語り部を探す」では、検索サイトを利用して、当サイトに辿り着くまでの過程を紹介。
そして、「茨城県竜ヶ崎市若柴町の語り部に会に行く」では、私をネット上の語り部と喩えて、若柴の民話や女化原の狐女房譚、牛久沼の河童を紹介。
平成15年11月7日号常陽ウィークリーの「ぶらり街並みさんぽ龍ヶ崎若柴街」は、当サイトとタイアップ。
若柴の散歩コースが詳しく紹介された。
「ニュータウンの開発で都市化が進む龍ケ崎市にあって、水田や野菜畑、雑木林など豊かな自然が残る若柴地区。新興住宅地を囲んで3つに分かれる同町のうち、かつて水戸街道の宿場が置かれた界隈は、神社・仏閣や重厚な門構えの旧家が立ち並び、落ち着いた風情が漂う。旧街道から脇道へ足を踏み入れると、スギやヒノキなどの木立に囲まれた小道が続き、格好の散歩コースになっている。」として紹介
平成16年、月間ウォーキングでは「不思議発見ウォーク」として、ミステリアスな若柴及び女化が紹介された。
「狐の子孫」が武将として実在し、戦国時代に大活躍した逸話が残る茨城県南部。ミステリアスな空気漂うこの地を歩くと、不思議な体験と遭遇する。
というプロローグで始まる内容で、実際に女性記者が佐貫駅から若柴を経由して女化まで歩いた時の不思議な体験を語っている。
詳細はここ平成17年6月23日朝日新聞茨城版朝刊"街がたり人がたり"龍ヶ崎市では、「若柴宿、サイトが結ぶ人の縁」として、私と若柴宿が紹介れた。
私のウェーブ運営に対する思いが、次にように・・・
「7年前、インターネット上に、若柴地区を紹介するサイトを開いた。ネットがはやり始めたころで、説明を読んで「自分にもつくれそう」と思った。題材に選んだのが、好きな若柴の散策路だった。近くにある牛久沼の話題も加えて3年ほど前に新設したサイト「牛久沼ドットコム・大地のえくぼ」には、今、1日に百人前後が訪れる。・・・・」
平成17年10月2日、JR東日本企画・駅からハイキング「来たらいがっぺ歴史とコロッケの街龍ヶ崎」のウォーキングコースに若柴が加わった。
「歴史とコロッケの街龍ヶ崎」という今回の企画。金龍寺ほか様々な神社仏閣が散歩コースに含まれた。
わざわざ2kmほど迂回しての若柴経由。狭い道に人が溢れるほどであった。
平成19年8月4日 ぶらり路地歩き龍ヶ崎市「若柴宿」編 18頁全面
野鳥のさえずりや風の音に耳を傾けながら歩くと江戸時代にタイムスリップしたような・・・・と、紹介されました。
佐貫駅→協和橋→足袋屋坂→種池→大阪→延命寺坂→くじ神社→御手洗乃池→星宮神社→金龍寺→鍛冶屋坂→佐貫と、辿る約2時間のコース。略地図と各ポイントの写真と解説が詳しく掲載
当サイト、取材に協力する