旧水戸街道若柴宿

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宿場のかたち


郷土史の文献によると、「若柴宿の入り口は、江戸側・水戸側のいずれも90度の曲折を経ていて、その間の道は直線で宿場内が見通しが利くよう設定されているのであろう、宿場の立地が計画的に行なわれたことが想像出来る」と、あくまでも想像としながらも若柴宿の立地をこのように計画的と述べている。

確かに、多くの宿場の立地は新道建設に伴う町づくりなので計画的な事は言うまでもないが、実際にここを歩いてみると、この町の形が計画的な立地ということに疑問を感じてしまう。

なるほど、八坂神社のところで大きな曲線を描きながら、ほぼ90度の曲折を経ている。そして、途中僅かなカーブが何カ所かあるが比較的真っ直ぐな道が金竜寺入り口まで続き、そこから大きなカーブを描きながら右に90度曲がっている。

もし計画的な町づくりだったなら、南北入り口の曲折はもっと鋭角的な90度のはずで、八坂神社から金竜寺入り口までの道も、もっと見通しの利く直線になっているはずである。

自分なりにその成立について考えてみると、若柴宿の立地は牛久沼の湿地を避けた丘陵地が選ばれ、そこは丘陵地ゆえ起伏が多く、その中の限られた平坦な場所が選ばれたのだが、平坦なゆえ、人が暮らす村が存在したはずである。そして道づくりに於いても、村と言う障害物と起伏を避け、出来るだけ真っ直ぐで平坦な道筋が選ばれたと考えられるのだが、その過程に於いて、立ち退きを余儀なくされた人家もあっただろう。結果的に宿場の南北の入り口が90度の曲折となり、宿場内は僅かなカーブが有るものの、比較的真っ直ぐな道が続く事になった。それは、あたかも計画的な町づくりが行なわれたかのように思えるが、むしろこの宿場のかたちは、丘陵地の地形に沿って出来上がったものであると考えるのだが。


現在でも八坂神社から金竜寺入り口までの1km程のほぼ真っ直ぐな道の両側には、広い敷地の人家が建ち並んでいる。道はあくまでも平坦であるが、人家の敷地の南側は急な斜面の雑木林となっていて、そして北側は緩やかな起伏で、畑や雑木林が竜ヶ崎ニュータウンまで続いている。もし雑木林がなかったなら、ここは高台で、晴れた日は富士山が望める見晴らしのいい場所なのだが、人々は雑木林を大切にし、それはまるで防風林のごとく立ちはだかっていて、人々の生活を守り続けている。南風の強い日でも、この台地だけは、竹林のきしむ音以外は驚くほど穏やかなのである。


台地の南側の佐貫方面から望むと、若柴宿の町並みは、すっぽりと雑木林に覆われて、まるでその存在を隠しているかのように。

水戸街道 金竜寺入り口