若柴ウォーキングマップ/若柴から馴馬へ

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竜ヶ崎歴史探索、6kmのウォーキングコース+郷愁を誘う関鉄竜ヶ崎線4.5kmの旅。下の地図をご参考にしてください。
↓佐貫駅
1900年(明治33)龍崎蒸気軽便鉄道(現在の関鉄竜ヶ崎線)の乗り換え駅として開業しました。住井すゑさんの作品「向い風」「野づらは星あかり」に登場します。
※駅前広場を出ると、左に進んでください。
↓江川
佐貫駅より徒歩5分
牛久沼から龍ヶ崎ほか、近隣の村々の水田に水を運ぶために作られた人工の小川。現在は新たな用水路が出来て、その機能は失いましたが、細々と流れる小川には鮒などの魚が生息し、釣りを楽しむことが出来ます。
↓種井(上町)と足袋屋坂
江川より徒歩5分
駅から続く道は、種井(種籾を浸した池)のところで、ねがらの道と交差し坂道になります。その坂道は足袋屋坂と呼ばれ台地上に登る急な坂道です。この近くに足袋屋さんがあったのでしょう。坂の名前に宿場の面影が偲ばれます。途中木の根っこが彫刻のごとくはい出しています。まさに自然の芸術です。
※足袋屋坂は登り切らないで、途中より降りてねがらの道を左(駅方面から見ると右)に進んでください。
↓ねがらの道
ねがらとは、根がはびこると言う意味で、台地下に沿った道に付けられた一般名詞です。若柴の台地と「台の下」と呼ばれる低地をつなぐ斜面林が続き、そこには藪椿が群生しています。伸びた木々がまるでトンネルのように覆っています。シーズンを通して野鳥の鳴き声が聞こえてきます。
種井(仲町)
種井(上町)より徒歩3分
清水が沸いていて種籾を浸したそうです。かつては若柴の下町、仲町、上町、横町、向原、富士ノ下の各町ごとにあった種井ですが、現存するのは仲町、上町、横町の3箇所で、いまも清水が沸いているのは仲町だけです。池の周には木々が鬱蒼と繁り、蒼然とした景観は当時の若柴の人々の暮らしぶりを伝えています。
↓延命寺坂
種井(上町)より徒歩3分
種井(仲町)より徒歩2分 むかし真言宗延命寺が建っていました。明治初期の農村荒廃期に無住となり、神仏分離に際して廃寺となったそうです。
↓大坂
延命寺坂より2分
旧水戸街道を日本橋方面から下って若柴宿入り口にある坂です。若柴にはたくさんの坂がありますが、街道筋の坂はここだけです。坂を下りた所の左の空き地は、むかし若柴村役場があったところです。
↓愛国学園
大坂より10分
町村合併以前は馴柴村立馴柴中学校があったところで、古くからの学舎。現在は愛国学園龍ヶ崎高等学校という私立の女子高です。校庭や正門付近にはおびただしい数の桜の木が植えられていて、春になると一斉に花開き、市内屈指の桜の名所となります。観光協会主催の桜祭りが開催されます。
来迎院
愛国学園より15分
寺院の入り口に県指定重要文化財の多宝塔が優雅に聳えています。土岐治英(龍ヶ崎城主)は、馴馬城跡に眠る、南朝方の幾多の戦土の霊魂の冥福供養のため、さらには万民安泰のため如来の加護を祈って、弘治2年(1555)この塔を建立したものです。
↓日枝神社
来迎院より徒歩7分
南朝方(馴馬城)に参与して戦った山崎氏に因む神社です。社伝によると、「延喜3年(903)、近江国志賀郡坂本村山王大権現の分霊を勧請し、馴馬地区の鎮守として祀った」といわれています。 鬱蒼とした木立の中の社殿は神秘的な雰囲気に包まれています。
馴馬城跡
日枝神社より徒歩3分
中世の山城。雑木林と竹藪以外は何も残っていません。この丘に登って、南朝方として戦い、そして死んでいった中世武士たちに、思いを馳せてみませんか。
↓龍ヶ崎歴史民俗資料館>
馴馬城跡より徒歩2分
室内には、市内各所で発掘された土器や石器、歴史を偲ばせるパネル等が展示してあります。屋外には、水車小屋や農家が復元されています。また、入り口には竜鉄を走っていた機関車が展示されています。
↓愛宕神社
龍ヶ崎歴史民俗資料館より徒歩10分
龍ヶ崎村は江戸時代初期より仙台伊達氏の支配下にあり、愛宕神社は仙台藩2代藩主・忠宗によって1641年に建立されました。領民の安泰と火災や災難除けを祈願し、領地を一望できるこの場所に建立されたと伝えられています。 社殿は総欅造りで、龍や鷹のすぐれた彫刻が施されています。特に鷹の彫刻は逸品で、左甚五郎の作品と言われています。
↓頼政神社
愛宕神社より徒歩15分
老木の根本の小さな石の祠を頼政神社と呼んで、人々から手厚く祭られています。伝説では、京都宇治にて平氏に敗れた源頼政の御首をここに葬ったと伝えられています。
竜ヶ崎駅
頼政神社より徒歩7分
関東鉄道竜ヶ崎線のターミナル駅で竜ヶ崎中心市街地の玄関口。1時間に2便のジーゼルカーが、佐貫駅迄の4・5kmを往復する。1900年(明治33)開業の歴史のある駅
佐貫駅まで途中一駅、6分間の旅をお楽しみください。
マップ