蛇沼の概要

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牛久沼と共に茨城自然100選に選ばれた美しい沼


所在地は若柴町字永山の雑木林と竜ヶ崎ニュータウン長山8丁目及び松葉6丁目に挟まれた窪地。

常磐線佐貫駅東口からニュータウン長山行きに乗り、長山7丁目(終点一つ手前)下車徒歩5分。


雑木林に囲まれた窪地の沼は、かつては人目につきにくく、足を踏み入れることすら困難な場所であった。近年、長山地区に赤煉瓦の門、望沼台、四阿(休憩場所)、野鳥観察舎等の設備の整った蛇沼公園が施設され、誰でも気軽に美しい水辺を散策出来るようになった。

休日にはスケッチやジョギング、散歩など市民の憩いの場となっている。

また蛇沼は野鳥の宝庫で、耳を澄ますといろんな鳥の鳴き声が聞こえてくる。ツグミ、キジバト、ヒヨドリ、中でも沼の水面を3羽4羽の親子鴨が泳いでいる姿は微笑ましい。


蛇沼という奇妙な名前の由来は多説あり

  1. その一、蛇がまがりくねったような形をしているから蛇沼と名付けられた。
  2. その二、昔から沼の周辺の草むらにマムシ(毒蛇)が沢山いたから蛇沼と名付けられた。
  3. その三、鎌倉健五郎景政の大蛇の伝説から蛇沼と言われるようになった。

歴史は古く

さだかではないが戦国末期にここを戦場として、大合戦が行われたと伝えられている。江戸時代になって八代将軍吉宗は全国に干拓事業を起こし、稲作栽培の拡大を奨励し、水源地の南側に堤を築き灌漑用溜池とした。それまでは沼の水面は今より遥かに大きく、現在の松葉地区から馴馬地区までが水面であったらしい。


江戸時代までの旅人は、荒涼とした女化原の南方端の木々が生い茂る窪地をオアシスのように想い、ひと時の休息をもとめて沼に足を運んだと想像出来る。蛇沼に纏わる多くの伝説・伝承がそのことを物語っている。


現在の沼の面積は約1平方キロメートル、水深2メートルほどで、まわりをアカマツやクヌギでおおわれていて、4月にはすみれが岸辺をおおい、夏はタヌキモが黄色い花を水面に浮かべる。名の知れたものだけでも20種類の水草が繁茂し、自然植物のまさに宝庫である。


沼の水はもともと湧き水と雨水に頼っていた。ところが近年の都市開発の影響のためか地下水動脈の流れが変わり、湧き水の量は激減し、日照りが続くと水涸れとなる。竜ヶ崎市は平成11年、そのような状況に対し、蛇沼の景観を保つため人工的に上水道を沼面まで引く用水路を建設した。雨量の少ない時は水を少しずつ放流し、景観は元に戻ったが、一度失われた地下水源は元に戻らない。

水枯れの蛇沼

平成11年完成の用水路