金竜寺

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金竜寺の伝説

藁干観音のお話

金竜寺に藁干観音がある。昔、新田義貞が敵に追われて逃げてきた。その時農家の娘が藁を干していた。見ると娘がしきりに義貞を招くので、これ幸いと娘の干している藁の中に身をひそめた。敵兵はそこに義貞が隠れているとは知らずに通りすぎてしまった。藁の中から首を出してそっとのぞくと娘の姿はすでになく、難を逃れた義貞は「これこそカブトの中に入れて置いた観音像の守護によるもの」として金龍寺にその像を納め、厚く祀った。以後その観音は藁干観音という名が付けられた。

金竜寺

牛になった小坊主のお話

金竜寺に知雲というのろまで気の利かない小坊主がおりました。住職の注意にも耳をかさず、食っては寢、食っては寢しているうちに、まるまる太って、とうとう牛になってしまいました。牛になった知雲は始めて自分のしたことを反省し、もう死ぬしかないと思い沼に入水しようとします。それをあわれに思った住職は、牛の尻尾を引っ張って引戻そうとしますが、ぷつんと切れてとうとう水底へ沈んでしまいました。住職は残った尻尾を持ち帰りねんごろに供養しました。その尻尾で払子をつくり、その払子は今でも寺宝として残ています。一方入水した沼はその後「牛を食った沼」として牛久沼と呼ばれるようになりました。

牛久沼

金竜寺秘話

いつの時代か定かでないが、身分ある武士の妻と思われる女性が幼い子を連れて、金龍寺にある銀杏の樹の下で落ちた実を拾っていた。拾った実を子供に食べさせていたが、その姿は痛々しいほどやつれていた。時は戦国時代のこと、こうしたこともあったであろう。家は焼かれ、田畑は荒れて食するものとてない有様であった。戦火から逃れて、この寺に難を避け、僅かな銀杏の実で一時の飢えを凌ごうとした悲しい母と子の姿である。

その後二十年が経ったある日のこと、同じこの樹の下に、とめどなく流れる涙を拭おうともせず、万感胸に迫る思いを抱いて立ちつくしている若武者がいた。この凛々しい若武者の姿を不審に思い、見守っていた住職は「さきほどからお姿を拝見していましたが、何やら仔細がおありの様子、差し障りなくばお聞かせ下さい」と声をかけた。若武者は我に返って「いや、これは失礼、今は戦いの最中、どこに敵の間者がいないとも限らず、身分を明かすことは出来ない」と挨拶して、幼いころの思い出を語ったが、この若武者こそ、二十年前に飢えに泣き母に手を曳かれ、銀杏の樹の下で落ちた実を拾って食べた子の成長した姿であった。