旧若柴宿top 旧水戸街道について 若柴宿の歴史 宿場のかたち

旧水戸街道若柴宿

若柴宿の概要

若柴宿は水戸街道千住宿から数えて7番目の宿場で、小貝川を渡り常陸国の入口にあたる。現在の地名で言うと茨城県龍ケ崎市若柴町字下町、仲町、上町、横町、向原に所在する。尚水戸街道は明治5年以降、陸前浜街道と称し現在に至る。

宿場は台地上の両端がクランク状90度に屈曲していて、その間約500メートルの直線上に旅籠や茶屋、会所(宿場を取仕切る事務所)が置かれていた。

旧水戸街道について

東海道や日光街道などの五街道にはそれぞれ付属するバイパス的な街道が存在していた。水戸街道は日光街道の付属街道の位置づけであったが、幕府の所在地江戸と、御三家の一つである水戸徳川家の居城が所在する水戸を結ぶ重要な街道で、脇往還あるいは脇街道と呼ばれ、五街道に次ぐ重要な街道と考えられていた。

若柴宿の歴史

水戸街道は牛久沼を避け、台地上の若柴へと迂回経路をとっていて、その迂回経路に若柴宿は存在する。藤代宿・牛久宿と近いことから、宿場の規模は小さく本陣は置かれていなかった。

宿場のかたち

八坂神社から金竜寺入り口までの500mm程のほぼ真っ直ぐな道の両側には、広い敷地の人家が建ち並んでいる。道はあくまでも平坦であるが、人家の敷地の南側は急な斜面の雑木林となっていて、そして北側は緩やかな起伏で、畑や雑木林が竜ヶ崎ニュータウンまで続いている。