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登録文化財 旧諸岡家煉瓦門・塀

旧諸岡家煉瓦門・塀とは

明治末、龍ケ崎市米町の諸岡良佐(もろおかりょうすけ)氏が自宅に建てた赤レンガ門塀で、移築前は、7000㎡の敷地の東南表側と西南の脇道に面してレンガ塀が延びていて、大柱の高さ3.8メートルと、個人邸洋風煉瓦門塀として、全国的にも特筆される規模でした。門柱4本のデザインも秀逸で、東京駅と同じ覆輪目地(フクリンメジ)で施工されています。レンガの積み方は主にイギリス積みで、脇柱の幹部だけがフランス積みとなっています。

市民運動で移築を保存を

平成18年(2006)、諸岡家の敷地が別途使用となり、赤レンガ門・塀は解体消滅の危機となりました。そこで、こうした古い建造物を愛する市民は赤レンガ保存実行委員会を発足させ、移築保存への協力を呼びかけました。当初は現地保存が出来ないか様々な模索をしましたが、移築しか保存方法がありませんでした。

その年、赤レンガ保存実行委員会は門塀を解体し、その部材を諸岡家から譲り受け、別の場所に保管し募金活動を開始しました。この運動を通して集まった市民からの募金及び市の協働事業による助成金と東日本鉄道文化財団からの助成金により、9年の歳月を経て2015年秋に八坂神社隣の市有地に移築が完成しました。

特徴

覆輪目地とは、半円形で中央を盛り上がらせて目地を強調する工法で、レンガを美しく際立たせる効果があります。日本独自の技法で、この技術は伝承されておりません。

移築の規模は大柱の高さ:3.8m 小柱の高さ:2.9m 塀の高さ:2.2m 塀の部分:9m 全長:17mで、移築場所等の関係で塀の長さは縮小されました。2018年5月、国登録有形文化財(工作物)に登録となりました。

諸岡家について

諸岡良佐氏は米町の代々小庄屋を務めた諸岡家の分家で、検事正を経て実業界に入り、龍ケ崎銀行頭取や龍崎鉄道社長(6代)を勤めました。また第11代町長(大正2年9月~大正4年4月)として町政発展に尽くしました。更に竜ヶ崎二高の前身、町立龍ケ崎女子技芸学校の設立、龍ケ崎中学校の充実に努めました。その頌徳碑は米町薬師堂境内に建っています。 良佐氏の長男諸岡良夫氏は諸岡医院を開業し、医業の傍ら龍崎鉄道社長(8代)、消防組頭などの要職を務め、さらに第17代・18代(昭和2年4月~昭和7年6月)の町長として龍ケ崎町政の発展に尽しました。氏の業績を象徴するものとして、昭和2年の町章制定があります。「龍玉を掴んで発展」を意味するこの町章は、町民に図案を募集して制定したもので、現在もそのまま龍ケ崎市章として用いられています。