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登録文化財 旧小野瀬家邸

江戸後期より代々小野瀬忠兵衛を名乗った龍ケ崎を代表する豪商の店舗及び邸宅です。

初代は筆墨、米殻を商い筆屋新助と名乗り、天保年間(1830-44)に30代で財を築きました。元々は筑波山の麓北条の人と伝えられ、いつ頃から龍ケ崎に居住したかは分かりませんが、文久2年(1862)、天王社(龍ケ崎鎮守八坂神社)に小野瀬新助名義で多額の寄進をしていることが記録されていて、既に龍ケ崎に本拠を置き、名字が許されていたことが分かります。その後、忠兵衛を名乗ったと思われます。

明治になり、三代目忠兵衛は、干鰯(ほしか=鰯を乾燥させた肥料)と塩の専売で財をなし、明治39年(1906)龍ケ崎農商銀行の創立発起人を務めました。

五代目忠兵衛は実業家であるとともに、戦後衆議院議員を3期務めるなど政治家としても活躍し龍ケ崎の発展に尽力しました。黄綬褒章と紺綬褒章を受章しております。

旧小野瀬邸は、そうした歴史を踏まえ、平成16年(2004)、店舗と、その奥の母屋が龍ケ崎市第一号となる国登録有形文化財になりました。

登録有形文化財になった当初は様々なイベントに活用されましたが、現在は所有者の住居となっているため原則イベントや見学は出来ません。

現在の店舗は、四代忠兵衛によって大正13年に建てられたもので、木造2階建て一部平屋、間口5間、奥行3間、建築面積は210㎡です。

店舗奥の母屋は明治初期の建築物で、木造平屋建て、建築面積は65㎡。老朽化が著しく、近年所有者によって修繕されました。 外観は、町屋棟は木造出し桁造りで、欅材を多く用い、高い2階建ての典型的大正期~昭和初期の町屋作り建築の特徴を良く備え、質も高く、豪商の商う町屋建築の印象を受けます。住居棟の外観からは、桁から下の壁を押縁下見板張にし、それ以上の壁を漆喰塗りにする同期の伝統的和風住宅の特徴を良く備えていて、当時の豪商の様子を偲ぶことが出来ます。