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伏見稲荷神社


稲荷大明神(愛宕神社下)


竹駒稲荷神社

新町若生家により守護された神社で、昭和40年頃までは、旧暦の初午の日に近所の信仰の篤い人達が集り、油揚げ、赤飯、五目飯、お菓子などを供え、大きな幟を立て飾り物をして、一日中お祈りをし、親睦を深める行事を行っていたそうです。

本社は宮城県岩沼市にあり、承和9年(842)の創建。その後奥州藤原氏により庇護を受けた歴史のある神社です。神社のホームページによると日本三稲荷となっていて、利益と福徳を授けて下さる「福神さま」として多くの尊崇を集めているそうです。

江戸時代には仙台伊達藩により手厚い庇護を受けたそうです。龍ケ崎の竹駒稲荷神社は、当地が仙台伊達藩の領地だった江戸時代に分霊し祀られたのではないかと考えます。 神社の脇には樹齢250年と言われている楠の御神木がそびえています。


しぶくり卵塔墓地

現在は民家の墓地になっていますが、龍ケ崎の祖、下河辺一族の墓があった場所と考えられます。かつてしぶくり卵塔が立っていたことから、この墓地をしぶくり卵塔と呼んでいます。一説には<しもこうべ>が訛って<しぶくり>になったとも言われています。卵塔とは鎌倉時代、卵型をした禅僧の墓を卵塔といっていましたが、やがて宗派を超えた僧侶のほか権力者や金持ちも卵塔を立てるようになりました。卵塔は現在残っていませんが、龍ケ崎の祖下河辺氏を語る上で重要な場所となっています。

なお、墓地内に鎮座している六地蔵が目を引きますが、これは室町時代から江戸時代前期に作られたものと思われます。六地蔵とは古い墓地の入口などにしばし祀られている仏像です。

六地蔵


大正橋跡


昭和橋跡


松濤橋


伊勢屋橋



花光大師


高砂橋


直鮒大師


要蔵寺