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医王院(砂薬師堂)

山号は玉光山、本尊は薬師如来、曹洞宗の寺院。砂薬師堂といわれることもあります。

慶長3年(1598)大統寺二世の日山梵朔(にちざんぼんさく)が大統寺の隠居寺として開山しました。開基は龍ケ崎城主土岐胤倫(ときたねとも)となっております。

明治37年(1904)月光正光大和尚によって独立した寺院になりました。それまでは大統寺住職が兼務しました。

薬師如来は医王仏、大医王と呼ばれ、現世での苦しみを取り除く仏で、病気平癒を願う人々によって信仰されました。当寺院は特に「眼」に関しては、特別ご利益があるそうです。本堂内には、眼病が治った御礼として奉納された「めめ」と書かれた絵馬が今でも飾られています。

江戸時代、龍ケ崎は仙台伊達藩の領地となり、領主伊達政宗は薬師如来を篤く信仰し、仙台領の東の入口に当たる砂薬師堂は龍ケ崎の東の護りとして、一方西の護りには米薬師堂が定められ、それぞれの入口には仙台領柱が建っていたとされます。

本堂は、明暦2年(1656)薬師如来を信仰する人々の浄財で再建されました。明治16年の龍ケ崎大火でも奇跡的の消失を免れています。その後何度も補修が行われ、平成12年より老朽化の為、大修復計画を立て、同16年に完成し、創建当時の様式をそのまま残しています。

本尊の薬師如来は秘仏で33年に一度、薬師市の日に開帳されていました。 境内には、龍ケ崎が輩出した俳人・杉野翠兄が、文化10年(1813)に師匠の大島蓼太17回忌を弔って建てた「蓼太句碑(市・指定文化財)」があり、表面に「たましひの入れものひとつ種ふくべ」と蓼太の句が刻まれています。