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高田神社

古くは

高田権現神社は、古くは鎌倉時代の領主、下河辺氏一族小山(おやま)氏の邸内神として祀られていました。つまり、ここは小山氏の邸宅があった場所で、また、古くからこの一帯を小山といわれていました。現在は小山住宅という団地になっています。

土岐氏の時代

天正5年、土岐氏の領地になると、この祠堂に熊野神を遷祀し権現社と称しました。社伝によると「当地方に於いて将門調服以来権威のある高田権現社と称した」と記録されています。つまり、土岐氏の本拠地江戸崎には熊野神を祀った高田権現者があり、平将門の乱の平定にご利益があったので、これに見習って高田権現社にしたということです。

江戸時代は

江戸時代は老杉巨木が天にそびえ、権現堂は五間と六間(10m×12m)の大伽藍でありました。その当時の権現堂は、棟札によると享保5年建立と記録されています。

近年は

明治維新以降は老朽化が著しく、浮浪者が住居する社となりましたので、建て壊し小堂を建て講員が管理して来ました。

太平洋戦争が始まると、八間道路が建設され現在地(元堂は現在地より150m南)に移転しました。その後老朽化が進み、昭和53年地域の僅かな講員の尽力により大改修が行われ、覆い屋根付のお堂が建てられました。

かつては権現田があり、講員が当番制で田を耕し、その収入を祭礼の費用に充てたそうです。現在、田んぼは埋め立てられましたが、毎月講員費を徴収し、社殿の維持管理に充てているそうです。10月1日の祭礼日には講員で稲敷市の高田神社に参詣に行くことがあるそうです。

また境内には弘法大師堂も置かれ、新四国八十八か所第59番の霊場にもなっています。