神社仏閣top 米薬師堂 八坂神社 大統寺 般若院 愛宕神社 龍ケ崎観音 医王院 鹿島神社(田町) 来迎院 常光院 日枝神社 高田神社 大徳薬師寺 永福寺 鹿島神社(大徳)  

愛宕神社

祭神:迦具土命(かぐつちのみこと)  江戸時代は本地:将軍地蔵  火伏の神

社伝によると、寛永18年(1641)8月、仙台藩第2代藩主伊達忠宗(政宗の子)によって勧請されました。

伊達家は代々愛宕神社の崇神家であったので仙台にならって、火災から領民を守るため京都から火伏の神を迎え、領内西の丘陵地に愛宕神社を創建したものと思われます。江戸時代までは般若院住職が別当を務めました。龍ケ崎唯一の神主であった佐野氏が祭祀をおこなったという説もあります。

祭礼は春(1月24日)と秋(10月24日)に根町の氏子によって執り行われています。今も「火伏の笹」をもらう人で賑わっています。

社殿内部には愛宕神の本地仏である将軍地蔵の像が安置されています。現社殿は江戸の中期、元禄文化が華開いた次の年号宝永5年(1708)に再建され、表六尺、奥行六尺五寸総欅造りです。昭和33年(1958)修築。

本殿正面の鷹の彫刻は左甚五郎作の伝えが有り、雀や燕などの小鳥は神社の屋根には止まらないといわれています。左甚五郎が活躍したとされる時代は江戸祭りの様子 の初期であり、しかも架空の人物である可能性も高いため、左甚五郎作は信じがたい。作は不明として、むしろ愛宕神の眷属(けんぞく)である鳶(とんび)を表したと見る説もあります。いずれにしても本殿左右と背面の壁面にある欅一枚板の浮彫りによる羽目板彫刻は、その大きさ、厚み、構図、人物描写のち密さ、物語内容ともに息をのむ素晴らしさです。

平成20年に「愛宕神社平成屋根銅板復旧工事」が施工されました。