西地区top 米薬師堂 大統寺 般若院 高田神社 市民遺産竜ヶ崎線 三笠宮来龍碑と旧高松石蔵 撞舞通り 本願寺不動堂 頼政神社 並木道祖神 並木道 市街地西地区いろいろ

龍ケ崎市歴史民俗資料館

龍ケ崎市歴史民俗資料館 公式サイト

常設展示

常設として県指定無形民俗文化財の撞舞、原始古代から近代までの資料、昭和の暮らしの道具や民具などを展示を展示してあります。

そのほか随時企画展が行われ、2階の多目的室と体験学習室では、様々な学習活動を行っています。

屋外には、農家の納屋、たばこ屋、水車小屋が建っています。また、施設入口には竜ヶ崎線を走った4号機関車を展示してあります。       

大正14年(1925)7月、川崎造船所兵庫工場(兵庫県)で製造されたC型タンク蒸気機関車です。

JR佐貫駅から関東鉄道竜ヶ崎駅を結ぶ4.5kmの路線を運行、大正14年から昭和40年の約40年間を毎日走り続けましたが、ディーゼル車の導入により昭和46年に廃車となりました。走行総距離は24万8115キロメートルに及びます。

廃車後は沖縄県久米島の観光開発のため一旦は売却されましたが、沖縄に旅立つ前に、歴史的価値を認めた龍ケ崎市が買い戻し、一時期、姫宮町の児童公園内に展示されていました。平成2年(1990)、歴史民俗資料館が開設され、同館敷地内に移されました。

関東鉄道竜ヶ崎線の前身は龍崎鉄道といい、明治33年(1900)開業の県内最古の私鉄路線です。開業に合わせて佐貫駅も誕生しました。当初は762mm軌間の軽便鉄道でしたが、国鉄からの貨物の乗り入れを考慮し、大正4年(1915)に現在の規格、1067mmに改軌されました。

昭和19年(1944)には、戦時の輸送機関の統合により、鹿島参宮鉄道(現在の鹿島鉄道)に鉄道事業が移譲され、その後、昭和40年(1965)常総筑波鉄道と合併し関東鉄道竜ヶ崎線となりました。現在はキハ2000形気動車が運行されています。

澤ゆきの詩碑

澤ゆきは、明治27年(1894)稲敷郡茎崎村小茎に酒造業を営む相澤千里、ための長女として生まれます。明治38年(1905)12才にて単身上京して千代田高女に学び、明治41年(1908)共立専門学校へ進みます。このころから文学志向が強く、英語やフランス語を学び西洋文化学に触れ詩に関心を持つようになります。

大正3年(1914)19才にて龍ヶ崎町で酒造業を営む飯野保平と結婚し、家業の傍ら詩作を続けました。

大正7年(1918)川路柳虹が主宰する「現代詩歌」にゆきは同人として参加します。翌8年、ゆきが「日本詩歌」に投稿した「悲しき愛」「小さなやすみ」が掲載され、詩壇に女流詩人澤ゆきの存在が知られます。大正10年(1911)詩集「孤独の愛」を出版し、島崎藤村等が繊細な感覚を高く評価しました。昭和6年(1931)佐藤惣之助の指導を受け、深尾須磨子、山村暮鳥、林芙美子、茅野雅子らとも交流します。

昭和37年(1962)69才の時、詩集「沼」を出版。昭和46年(1971)詩集「浮草」を出版します。終生かわらぬ詩作への情熱を持ちつづけた。日本詩人クラブ会員で龍ケ崎市文化協会顧問を務めます。

この詩碑は、澤ゆきを敬愛し、自然を愛する文学愛好家の同志によって平成2年に建立されました。